畑を手にいれて、始めて自然に出会えた感じがした。
というのは、今まで、自然と思っていたことがみな人間以外のことのような、また自分以外のことのような思いこみで見てきたように思えたからだ。
雑草に覆われた畑をどうするか、いろいろ考えたり、いくらか野菜の種を植えたりしていると、都会育ちの私には、長靴に長袖の長ズボンの真夏の作業はとても続かない。
家でパンツ一丁で暮らしているように、畑に出てパンツ一丁と、サンダルで農作業すると快適な感じがする。水をまくついでに自分の水をまくと、実に海水浴のような楽しみが生まれてくる。
雑草も、野菜も、人間も同じ仲間にみえてくる。
一部のかぼちゃが大きく育ち、そのとなりに植えたピーマンとパブリカが育ったと思ったが、そこにウリ科の野菜を食い荒らすウリハムシがまさしくハエのように、そのピーマンとパブリカの苗木を食べていた。
頭にきて、そのウリハムシを手でつぶしたりしていた。でも、ほとんどは逃げて飛んでいった。
なんで、ウリハムシはウリ科だけの葉を食べるはずなのに、どうしてパブリカの葉を食べるのか?
そして、そのパブリカだと思っていた葉をよく観察したら、なんとカボチャの葉とそっくりだった。
そして、気が付いたのは、パブリカとピーマンの苗はみな死滅してしまい、単にばらまいたカボチャだけが育ったことになる。
ウリハムシはウリ科のカボチャの葉を食べていたことに納得した。
このウリハムシは好んでカボチャ苗木の葉を食べていたが、大きく成長した葉はほとんど食べない。
どういうわけか、スイカやメロンのようなウリ科ばかり育ち、その芽をウリハムシは好んで食べる。
これは、農薬が必要かなと思ったが、さらに観察すると、食い荒らされたカボチャの葉の間から新しいカボチャの葉が育っている、
ひょっとしたら、ウリハムシは害虫ではないのかもしれない。人間のペットとしての犬や猫と同じように、ウリ科の植物にとってはウリハムシは共生の虫かもしれない。
というのは、
たくさんのカボチャの種にうち、それが大きく育つのはわずかである。それに成長の差も大きい。まさに生存競争ははげしいのである。このウリハムシはまさに苗木にとっては生存を阻害する虫である。しかし、このウリハムシが強いカボチャを育てるような共生だと思えるふしがある。
それはウリハムシが葉を食べても、また新しい葉が育つこと、さらに、大きな葉は食べないこと。さらに、ウリハムシはウリ科の葉しか食べないこと。
これは、ウリ科植物とウリハムシの間で、こんなやりとりがされているかもしれない。
ウリ科: 葉っぱをいくらかたべさせてあげるから、強い子を育ててくれ
ウリハムシ: 全部の葉を食べないで、いくらか残しますから、一緒に共存しましょう
てな感じだ。
カボチャは自然とすれば、ウリハムシは人間って感じである。
自然にとって、人間は害虫かもしれない。でも、人間が益虫として生きるなら、自然と共生できることになる。
自然に生きる植物にも虫にも・・・また人間にも・・害虫も益虫もないのだろう。それが害虫かどうかは人の見方の問題であって、それは真実ではないのだろう。
お久しぶりです♪
家にいる姿で農作業だなんて、良いですね
それもご近所に見つかれないように畑に出入りできるようにするなんで・・・
なんだか共感しています
しかし、無農薬のリンゴ栽培の木村さんですが
まだ、本は読んでいないのですが、紹介して下さったビデオやHPの中で
人間が手を入れず、自然に任せると、被害は最小限におさまる様な事を書いておられました。
それって、自然と共存していることなんでしょうね
>人間が手を入れず、自然に任せると、被害は最小限におさまる
私は木村さんの本を2冊読んだのですが、確かにそんな感じに書いてありましたが、具体的な自然農についてはほとんど書かれていませんでした。主に、彼の人生とか、彼の空想みたいなことが書かれていました。
具体的な方法が書かれている本を別に探しています。本をいくらか読んでも自然農についてはよくわかりませんので、自分勝手に野菜や果樹を試験的に栽培しながら、実体験的に学んでいます。
自然と共存というのは、善悪、損得、益害 などを人間中心に考えたり、行動しないことのような気がしています。