麦から稲の籾種を粘土団子にしてばらまくのは11月中旬以降である。そのさい、稲わらを長いまま麦のところに敷き詰めるわけだが、この稲わらはホームセンターで売っていたが、12リットルで399円もするので、とても高くて手が出ない。それに稲わらは大量に必要なので、売っている量では足りない。
稲わらは近所の水田では、稲わらをこまかくして、すぐに土と混ぜ込んで堆肥にしてしまっていたので、もらえなかった。そこで、刈った雑草を使おうとしたが、それはほとんど堆肥にしてしまったから、とても足りない。そこで、近くの山である昇仙峡が紅葉の季節で落ち葉がたくさんあったのでひろいにいった。
昇仙峡は甲府の近くである。
軽トラックに10数袋落ち葉を集めた。
モミジの葉もけっこう集めたのできれいである。これが堆肥となって、米ができたら、さぞかしうまいかもしれない。
稲を越冬させて、ちょうど春に芽を出させることは本当にできるのか疑心暗鬼である。雑草の種はみな越冬するので、不可能であるはずがないと思える。種は水につかると腐敗するか、芽を出すかである。越冬させるためには、乾燥させて、なるべく土にじかに触れさせないために、稲わらを敷いて、その上に乾燥させた粘土団子で包んだ種をまくのだろう。その原理であるなら、枯れ葉の上に粘土団子の種でも同じである。
また、市販の粘土をわざわざ買って、包むよりも、土団子でもいいように思える。それに栄養のある黒土団子で種籾を包んでまくようにするつもりだ。
春になって、芽が出なかったら、麦と同じように、培養土と一緒にもう一度種籾をばらまき、それでもだめだったら、稲の苗でも作って植え込みするしかないだろう。
でも、どうして種をわざわざ越冬させる必要があるのだろうか? 秋にまく麦種と同じように春に稲種をまけばいいように思うのだが、どうなんだろう。麦の緑肥として白クローバーを使ったならば、稲の緑肥として、豆科のレンゲ草か、くず大豆を一緒に種をまいたらどうなんだろうか。でも、それが生える空間はないので無理かもしれない。
落ち葉拾いか
懐かしいなあ
こうして文章にするととても簡単なようですが
結構体力がいるでしょう♪
背中に大きな籠をしょって
山の中に入って落ち葉を集めた記憶があります
今は車がありますものね
ビニール袋の中は落ち葉なんですね
小さい頃、麦踏をさせられました
麦を踏みながら稲団子を巻くのですね
生ゴミをすると、春に芽を出してきますよね
それは種が丈夫なものだけ、芽が出るような気がします
やはり、弱い種は芽を出さない
きっと、稲も寒さに耐え、芽を出した苗は丈夫で、病気にも強いのではないでしょうか
人間の子も同じですね♪♪
確かに体力が必要でした。翌日、用があるので起きて、終わると、すぐに寝てしまい、目が覚めたのは昼の3時でした。かなりの体力を気が付かないうちに使っているようです。
この世界では強い子しか生き残れない。生かさせてもらえない。生まれる以前から、強い生命力が必要のようです。
ののさんの言われるとおり、越冬の意義があるとしたら、その生命力の強さをつける勉強みたいなものかもしれませんね。今の稲は苗床で育ったものばかりなので、生命力が弱いものばかり育ってきている。それを食べた子供達が鬱病やいじめで自殺においやられるという現状がでてきたのかもしれない。
越冬や越夏の必要性が問われている時代がきたのかもしれません。