主体は収穫ではなく種なんだ

ビニールハウスの1/4くらい野菜の種を蒔いたら、ぐんぐん成長した。昨晩と今朝のおかずに、サラダ菜をおいしそうな葉をつみとって食した。

これは直播きだが、実は野菜造りは何も知識がなかったので、最初の春は種から苗を作ってから、それを移植して、野菜畑を作ろうとした。肥料も入れず、ただそこにある土だけで一粒か二粒の種を一つ一つずつ苗用の小さなビニール鉢に入れて、毎日のように水をあげて育てた。

 でも、ほとんど育たなかった。育ったとしても、移植したら、枯れてしまって、つるなしエンドウ豆以外全滅した。その原因は肥料とアルカリ度が主であり、同じ種でもビニール苗鉢だといくらか育っても、直播きだとまったく芽も出さなかった。その原因は水分の保湿が保たれているかどうかだとわかった。

 秋になって、麦とクローバーをブルーシートで保湿し、かつ肥料は土にまず鶏糞をばらまき、そして、種を市販の培養土と混ぜてばらまいたら、芽をすぐに出した。この方法で、秋野菜の種をホームセンターで全種試してみた。ほうれん草と長ネギ以外はうまく成長した。この2種類はたぶん土がアルカリ性を強くしないと育たないように思える。

 ブルーシートは芽が出れば覆いをはずした。雑草対策には麦と同じでクローバーを蒔いたのでそれを緑肥にした。種まきとしっても、苗を育てる感じで、5粒くらいをまとめて点蒔きした。というのは、種は100%発芽するとは限らないからだ。しかも、種は人と同じように家族のように寄り添って成長するように思えたからである。発芽が5粒のうちの1粒でも成長すれば良しとした。

 種をまいたら、土を盛るとかいうのはまったくしない。みな培養土と一緒に点蒔きしたものだ。この方法は実に簡単なもので、前回の失敗は嘘のようだった。

 葉は虫にわずかばかり食べられるが、病気はしない。人間の方が虫よりも大量に食べる。私がサラダ菜をつまんだようにだ。味は苦みがわずかにあったが、ドレッシングをかければ気にならない。

 そこで、ふと思ったのだが、野菜は人に食べられるために生まれてきたのではない。野菜はその種を残すために生まれてきた。主体は人間ではなく、野菜自身なのだ。

 人は野菜の中でもっとも大きな病虫害にあたる。なぜなら、種を残す前に、その種さえも全部食べ尽くしてしまうからである。種は海外の業者から大量に買っている。国産の種はわずかである。

 人が野菜と共存するならば、野菜の種をまず作ることから始めるべきであると思える。野菜も魚と同じように、全部とりつくしてはならない、野菜が自然に毎年育つようにして、人がその一部を食べられるようにすることが大事であると思えたのである。

 お金もそうだが、野菜の自然循環は野菜の命の循環を主にし、人はその補助をするような農業が大切に思えてきた。

 野菜に農薬をまく理由がよくわからない。それはたぶん収穫した際、腐りにくくしたり、害虫に合わないためのもののように思える。野菜には関係のない人のための処置であろう。

2 Responses to “主体は収穫ではなく種なんだ”

  1. nono より:

    昔ね、近郊農家の人のおうちに遊びに行ったことがあるの
    そこのおうちの人は、自分たちが食べるお野菜には農薬はまかないんだって
    でも、出荷するお野菜には農薬をまいて出荷するそうです。
    そうしないと売れないからだそうだけれど、これは20年前の話
    それから農薬の薬害が問題になって、低農薬の時代でしょう

    そして今は
    先日、サラダ菜をもらったのですが、全然土が付いていないの
    これって? 大企業が作っている水耕栽培のお野菜なのかと思いました
    お料理するには、土が付いていなくて、とってもきれいです、便利なんですが
    ベランダで少しのお野菜をいただく方がおいしい気がするのですが・・・・・♪

    どう変化するのでしょうねえ

  2. ゴン より:

    水耕栽培のレタスを農協のスーパーで、売っていたのでびっくりしました。レタスはそれ以外売っていなかったのですが、値段が高いし、一株というより、葉を数枚で売っていましたので買いませんでした。
    水耕栽培のレタスは見た感じ、弱々しい感じに見えます。
    味はどうなんでしょうか? 食べた経験がないのでわかりません。
    農薬は害虫を殺すから、害虫を寄せ付けないというふうに変わってくるようなきがします。殺虫剤から防虫剤になる傾向、腐敗も納豆みたいに、善玉菌が悪玉菌を寄せ付けない。というような方向性になるようなきがします。