これが完璧さだ

基本的な水の循環

を観れば、実に完璧な流れをしている。

この水の循環のような姿こそ、完璧だといえよう。

 しかし、そこに人間が多く活動すると、この完璧さは崩れてくる。

その要因 は、・少雨化傾向、多雨・少雨の較差拡大・流域のかん養機能、保水・遊水機能、自然浄化機能の低下 ・水質汚濁負荷の増大、汚濁物質の多様化 ・安全な水、おいしい水のニーズの増大 ・水面・水辺空間・緑地空間の減少 ・地下水の過剰取水 があり、

その水循環の問題点には、・平常時の河川、水路の流量の減少、湧水枯渇 ・都市型水害の多発、地下水位低下、地盤沈下 ・水質汚濁の進行と新たな水質問題の発生 ・都市におけるヒートアイランド現象の一因 ・生態系への影響 ・親水機能の低下、水文化の喪失 などがある。

 この問題は地球規模で起きており、中国の黄砂が日本にやってきたり、中国韓国のゴミが日本に漂着することからも伺える。

それにしても、人間が生きるために必要な真水は地球上の水の2,5%しかない。この真水を汚染したら、自分の首をしめるようなものだ。

 こうした環境問題の原因は明らかに人間の諸活動であり、自分で自分の首をしめているのが今の我々の姿だ。

今の金儲け主義の経済・自縛テロによる戦争問題も、同じ原因からである。

私個人の問題でも、メタボになっており、自分の欲望で自分の健康を害している。

日本の死亡身体原因のトップがガンであり、心の原因のトップが自殺であることからも、そうだといえよう。

そこで、私は再びダイエットを始めた。幸い、昨年8キロ減量しても、リバウンドしなかったので、さらに、ここ1ヶ月で1キロ落とした。

ダイエットの基本が「運動」と「食事」であり、水の循環と同じで、生産=食事、消費=運動 であり、そのバランスは1:1でなくてはならない。運動とは肉体の維持と意識的な活動を合わせたものである。

生産と消費が1:1であるときに、健康が維持でき、そのバランスが崩れると、病気になる。

 人は完璧さを求めると、その逆になる。むしろ、完璧さを求めない方が、そのとおりになる。

人が完璧さを求めるということは、神様のような、人の欲望の理想な極限値を目的にすることだからである。

そこで、もし本当の完璧さを求めるとしたら、人の活動を水の完璧な循環のように自然に合わせることだといえよう。

 完璧さ

 食べたら仕事(運動・勉強)せよ

 仕事(運動と勉強)の分だけ食べよ

 これが完璧さだ。

6 Responses to “これが完璧さだ”

  1. miyuki より:

    そうなんですよねー。皆、特効薬的な物に飛びつきやすいけど、
    一番大切な「バランス」をないがしろにしてますね。
    とにかく、動く事が苦手な人達、多すぎです。
    車、バス、電車、取り上げたら、どうしていいか分からなくなるんでしょうね。

  2. ゴン より:

     政府は不景気の特効薬に大幅な借金として国債をさらに増やしましたね。でも、不景気になった原因はあのサブプライムローンという借金を証券化して、それで、大儲けをしてきた投資銀行です。
     こうした不景気に際、「もったいない」精神で、必要のないものは造らない、人を使い捨てしない、本当に必要なところにお金を使う方向にいくことが、バランスだと思うのですね。
     人間らしさ、自分らしさをとりもどすには、初心に返って、乗り物を使わず、「自分の足で歩く」ことから始めていくのがいいように思えます。

  3. のの より:

    それには、やはり自分を知ることだと思いますね

    無理をしてしまうと、歩くことに疲れて、便利な乗り物を使ってしまう
    体力があれば、こんな天気の良い日は、一駅手前で降りて歩いてみようと思いますものね

    日常に追われて生きていると
    その余裕さえなくしてしまいますから「疲れたら休む」
    自分が疲れているということを自覚するその余裕が大切な気がします

  4. ゴン より:

    自然な流れに身を任せることは、自分らしく生きることでしょう。無理して自分を理想の自分に近づける必要がないのでしょう。
     こんなふうになったのは歳をとったためかもしれません。
    最近、以前の「50歳過ぎるとUターン説」が変わってきました。

     「二十歳を過ぎると、死ぬまで、死んでも、まだまだ二十歳」

    というようになりました。
     アラフォーならぬアラ還になった世代はどうも二十歳のように、新たに勉強したり、スポーツを始めたりして、若返って生きているようです。私もその流れに乗っています。

     マイペースで 新たな挑戦 アラ還よ

  5. wtr より:

    密かにプレサリアンを目指して定期的な断食や菜食を実践しています。
    プレサリアン(不食)とは、身体の完全循環型システムですが、閉鎖系のシステムではないのでしょう。呼吸もするし、皮膚も呼吸をする。そして生物学を基礎とした西洋医学では理解できないのかも知れないが、チベット医学でいうところの”サ”であるとかプラーナや気と呼ばれるものが循環していることで、身体を保っているのでしょう。
    断食中の頭と意識はとてもクリアでものがよく見通せますが、復食を始めると、頭や意識に
    霞がかかったような状態になる。あの聡明さが保てるなら、食欲を放棄してもいいかなと
    考えちゃうんですよね。
    まぁ、まだよくわかってないんですけど。

  6. ゴン より:

    >プレサリアン(不食)とは、身体の完全循環型システム

     そんなのがあるのですか? びっくり! 
     大昔、伊勢原の断食道場に見学にいったことがあります。断食が目的ではなく、そこの主人が本を出版していて、それにいたく感動したからです。

     wtrさんの話は、そこでの話にとても似ていますね。

     でも、私は食欲を放棄したくはありません。私にとって、食欲=生きること ですから、
    食欲を放棄したら、摂食障害になるでしょう。それは病人ですよ。

     私は適度な食事と適度な運動が、一番生きることをおう歌することのような気がします。それがなかなか簡単なようで、難しい。だから、その努力が楽しいのかもしれません。