柔らの道

娘のエッチングとTシャツ

 高校に入学した娘が迷わず柔道部を選んだ。私の高校入学時もそうだった。

 私の生き方の原点になったのが「柔道」である。家では毎日兄弟けんかばかりしており、私にとって、いかにして兄に勝つかがすべてだった。兄はさらにけんかを強くなるため極真空手を習っていた。それに勝つ武道として弟の私は柔道を選んだ。私の柔道は理論から入ったのだ。

 柔よく剛を制す

 この技術は私の世界平和への基本理念にもなり、日常生活においては、人間関係をうまくいかせるコツになっている。

 究極の世界の問題は「戦争と飢餓」による死であろう。私はいつも目をつぶると、この二つの死にあえぐ子供の姿がよく浮かんでくる。

 お金のシステムを今後のテーマにしたのはこのためだ。新しいお金のシステムを構築しようとすると、この「柔よく剛を制す」平和理論がどうしても必要になってくる。

 例えば、お金の貸借には金利を付けるのが今までのシステムだ。もし返さないと法という剛力で相手を痛めつけて、返させる。しかし、新しいゲゼルの減価する金銭システムだと、金利がマイナスなので、お金を返さなくても法という柔力で、相手を包み込む。

 平和の条件としてイスラム地域でもっとも比率が高かったのが武力だというアンケート結果があった。なぜイスラム圏で戦争が多いのかがそれで納得できた。武力の剛には武力の剛という姿勢が戦争を拡大させているからだ。

 イスラムの古代のハムラビ法典には「目には目を、歯には歯を」という法があり、「剛には剛で制せよ」という教えが今も根強く生きているように思える。

 しかし、「剛には剛」では一時の緊張する平和が実現できても、永続する平和は期待できず、絶え間ない戦争を拡大させることになる。

 北朝鮮の「核には核」もそうだ。「ミサイルにはミサイル先制攻撃」、イスラエルとガザ自治区の武力による報復合戦も「剛には剛」で、戦争を無限に拡大激化させてしまう。

 ガンジーの無暴力と無抵抗主義である「柔よく剛を制す」という平和技術がインド独立を実現できた。また、東西ドイツが統一した力もまた東ドイツ市民の政府に対する無暴力主義だったのである。

 日本の防衛論争において、「敵が攻めてきたら、どう守るか?」が最初の議題になる。この場合、「武力の均衡」と「先んずれば敵を制す」という古典的戦争理論では「剛には剛」の戦争拡大要因になるので注意を要する。その理論に対しては、「10の武力に対しては1の武力で制し」「戦わずして勝つ(自滅させる)」技術で防衛する方向性が必要である。

 例えば「核にはペンを」「ミサイルには人権内部告発を」である。
 金銭システムでは「借金取り立てには破産宣告を」という具合である。

 今後、私のホームページにこの「柔らの道」の項目を追加してみたいと思う。

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