助け合うためのお金

 東北関東大地震があってから、ずっと、ツイッターとテレビの情報にくいついていた。その間に、mixiの「あげますコミュ」のイベントとして「お金のいらない日」で、何人か賛同者と参加者がおられたが、まったく、連絡がなく、すっかり消されてしまった。

 そこで、痛感したのだが、やはり新しいことは自分でまずコミュをたてないとダメだと。

 今回の被災者にとって、必要なものはみな無料になったと思えるのである。そのため、この大地震の日こそ、お金のいらない日でないかと思えたのである。

 日銀だって、数十兆円も印刷して、配りだした。それは被災者を救うためのお金だからだ。娘の大学のボランチィア部で、震災募金を甲府駅前でやったら、25万円集まったという。阪神大震災の時は、「ボラティア元年」だったが、今回の東北関東大震災は「お金のいらない元年」になるのではないだろうか。

 今回の大地震は揺れの被害よりも、津波の被害、そして、放射能漏れの被害が大きなものとなっている。世界の視点はもっぱら、日本の原発事故の行方にある。

 そして、世界は原発推進派と反対派に2つに分かれることになってきた。それは、原発建設の町の推進派と反対派がまっぷたつに分かれるようなものである。世界が共産主義社会と自由主義社会と分かれたように、今後、原発推進主義と原発反対主義に分かれるのではないだろうか。

 私はもちろん自然主義者であるから、原発反対主義である。今回の震災も100年以上の視野をもつ必要性がある。経済もまた100年以上の視野が必要だ。まして、原発においては、放射能廃棄物の安全になる期間に10万年の視野が必要になる。

 今回の原発事故の特徴は原子炉を停止後におきただけでなく、3ヶ月前に使用済み燃料からの爆発がおきたことである。それはまさに、どこにも捨てられない放射能廃棄物処理をもっとも注目しなければならないということだと思えるのである。

 私は山梨県民であるが、知事が「原発推進派」であることを始めて知って驚いた。私は逆の「原発反対派」であるから、彼を選んだことを悔いた。今後、選挙する場合、第一条件を「原発反対派」かどうかで選ぶようにしたいと思う。政党もまた同じである。それは世界の選挙の方向になるように思う。

 また、経済危機と大地震災害から、お金がもっとも使われなくてはならないものが何かを教えてくれている。それが「助け合うためのお金」である。

 もともと、お金は「助け合うため」であったが、いつしか、「自分の欲望をかなえるため」になってしまった。自分とは自分の肉体のことであるから、人間の寿命の期間である80年がいいところだ。しかし、自分の寿命以上の未来の子供達のことを考えた、100年以上、1000年の規模で、それが持続する社会を作る必要がでてきたのである。

 今回、水と食料とエネルギーがもっとも大事になってきた。そして、もし、それらを買い占めると、被災者にそれが届かなくなることも指摘されている。そのように、お金も貯蓄しすぎると、被災者にお金が回らなくなるのである。

 もし、被災者に水・食料・エネルギーが回るようにするには、自分が必要最小限だけ確保して、それ以外は貯蓄しないようにすることである。

 「お金のいらない日」というのは、いわば、自分が必要にないものをすべて無料で他に人にあげるということになるのではないだろうか。

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