何かホッとする自分がいる

 一体、日本はどうなってしまうのだろう?
 大地震と原発事故、世界は北アフリカの政変よりも注目している。特に、原発事故は世界の開発の方向性に待ったをかけるだろう。
 日本がどうこれを乗り越えるかで、世界の方向がまた決まってくる。地震なれした日本人はその地震を甘くみていた感じがする。私自身、こうなるとはまったく予想がつかなかった。未来は誰も予想以上の何かが起こると思った方がいいだろう。

 ただ、こんな災害があるのは悲しい一方、今計画停電でこの文章を書いているが、その停電でさえ、ホッとする感情がある。

 何か人間本来の姿にもどれたような感じがするのだ。

 原発事故だって、そうである。核廃棄物が安全になるまでの10万年までの人類の未来を憂えていた矢先のことで、やっと、この事故で、馬鹿げた原発をやめる方向に世界がいってくれるかもしれないという安堵感がでてきたからだ。

 大地震だって、そうだ。人はあまりにも金を求めすぎて、人々が協力することを忘れていたからだ。被災者を救おうとする気持ちが世界中から集まり、そして、各国、各地域が争うことなく、一致団結して、無料でボランティアする姿はとてもこころよい気持ちになれる。

 こうしたやさしさがあまりになかったからだ。多くの命が失われたが、その命は人をもっともっとやさしくしてくれる力になってくれる。これが本来の人間の姿なんだ。

 癌になった人がよくいうには、「始めて何が大切だったか知ってよかった」と。それも大地震や原発事故で、何がもっとも大事かということが世界中で知ることができたのではなかろうか。

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何かホッとする自分がいる への2件のフィードバック

  1. Pika のコメント:

    ほんとに、私もなぜか停電になるとほっとします。
    ろうそくをみてるだけで。
    ため置きの水をそっとコップにとるのもほっとします。
    子どもたちがTVゲームをやらずに、おしゃべりして笑ってるのをみるのも。

    そして、電灯がついた瞬間、なにかせかされるような気がするのです。

  2. admin のコメント:

    剪定した木を燃やして夜がきましたが、そのたき火をみているとホッとします。原発も目に見えないたき火みたいなものですが、それを眺めていると、ぞっとします。電気はお金のようなものかもしれません。どんなもので作られるか、どのようにして作られるか? それが問題なんですね。

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