神とカネ

 小さかったとき、親がいつもお供え物をして祈りを捧げる神棚があった。小学生になったとき、そこにいる神様の姿をみたいと思い、イスによじのぼって、神棚の中を調べてみたことがある。

 そこでびっくりしたのは、お供えする食べ物を狙ってやってきたねずみの糞がたくさんあってびっくりしたことがある。

 神様が住んでいるところをどうしてネズミは平気で糞なんかできるのか妙だったからだ。そして、神様の正体を確かめようとしたが、何もいなかった。さらに、御札の中をあけても、ただの紙きれに名前を書いてあるだけだったのも不思議だった。

 結局、私は神様というのは神棚のことだと思った経験がある。

 私の母親は信仰心があつく、とくに巣鴨のお地蔵さんに祈りを捧げていた。 青年になったとき、その正体をまた知りたくなって、その鋳造された小さな地蔵尊の像を1万円で買ったことがあるが、そのときも、どうしてお地蔵さんをお金で買うことができるのかが解せなかった。どんな神様もお金で買えるってことを感じ、違和感を感じたことがある。

 高校生の頃から、ずっと神仏の正体を探し続け、精神的病になり、その探求を封印した。40歳過ぎになり、仕事に余裕ができたときに、スタッフが持っていた「理性のゆらぎ」の本を目にしたとき、急にそのサイババに会ってみたくなり、その時点から神仏探求の封印を解いてしまった。

 10数年の神仏を探求した結果は、子供時代の探求と同じく、やはりそこに何もなかったのでかなり落胆した。それから仕事に精を出したが、どうにもお金がたまらず、後発のIT事業のように大きくできず、結局会社を解散せざるをえなくなった。

 成功不成功の差がどうしてこんなに大きくなるのか、不思議だったが、直感的に労働ではなく、株の売買がその正体のような気がしていたが、ミキシーで遊んでいる時に、「money as debt」の動画を観てびっくりし、お金の正体をつかみたくなった。

 そして数年探求した結果、そこにあったのは空論だった。つまり、幻想にすぎなかったのだ。神仏の正体と同じで、そこに実体は何もなかった。そして、長年自分がお金をかせげなかった理由も、はっきりとわかったし、金儲けができなかった自分に感謝もした。

 数万年前の人類の原始宗教のような占いのような儀式とまったく同じような姿が、現代のお金の信奉で政治と生活をしている社会を発見した。

 数学と科学がこれほど進化発展しているというのに、お金だけが、基礎数学を無視して、単に「借りたカネは利息を付けて返さなくてはならない」という幻想からなる原始宗教を信じることからすべて成り立っていたからだ。

 そもそも、商品の価値を決めるお金の貸し借りができることをまったく疑うことがないのだ。 神の存在を認めた者だけに神が支配する。 お金の貸借を認めた者だけにお金が支配するのである。

 今の政治はまさに教団の会話と一緒である。教団がその神そのものを論議しないように、政治もお金そのものを論議することがないからだ。

 詳細は:http://sekaibank.net に記述中
 

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