なにげなく見た動画に触発されて、3年間も「お金って何だ?」と追求してきて、やっと自分なりに、その答えを出すことができたと思っている。そして、e中銀券などの新マネー案を出すことによって、現在のお金をそのまま受け入れられるようになり、かかえていた問題が解決したようだ。
新マネー案を実現しょうとするのが、次の道であるが、しかし、それは自分ができることではない。自治体や政府がすることで、自分ができるのは「お金とは何か?」を理解することだけで、それ以上のことは私の役目ではない。
今残された寿命を感じる年頃になり、お金の問題よりも、生死の問題の方に魅力を感じており、またその方が現実的に逼迫している。それにお金で命は買えない。死ぬ先にお金を持っていく必要もない。つまり、お金よりはるかに生死の方が大事な問題である。多くの問題解決がそうであるように、「その問題を解決するには、それよりも大事な問題を解決すれば、その問題も自然に解決する」ものだ。
不景気の問題は震災の問題解決から、震災の問題は原発の問題解決から、自然に解決する。その問題解決法はいわば「子供のなぜなぜ問いかけ法」である。どんどん核心のなぜになる。
こうした疑問は最終的に「生死の問題」になるので、すべての細かい問題はこの生死の問題を解決すればすべて解決することになる。原因があるから結果がでる。結果の追求は原因の追及からである。
お金の研究の結果、コインの表が中銀券だとしたら、コインの裏がe中銀券になった。もし、あなたが、中銀券を7兆7千万円持っていたら、それを支えているのは国民のe中銀券7兆7千万円であるということだ。 表が個人、裏が国民全体である。公私はコインの裏表である。あなたが、7兆7千万円得をしたら、国民は7兆7千万円損をしたことになる。
国民全体が1000兆円借金をしたら、投資家個人は国民全体に1000兆円貸金している。債券などのどんなお金も、すべて、貸借、損益のバランスがとれている。だから、あまり金持ちにはなりたくない。たくさん持てば持つほど国民の金を奪っているようなものだからだ。
お金の裏表があるように、生死にも裏表がある。日本人の神道の発想は実にわかりやすい。生の世界はこの世、死の世界はあの世である。命の流転は生死の繰り返しである。この世とあの世を行き来するのが、生死の流れである。
人は「死んだら終わり」というのは、片道だけの話だ。もし、個人の名前を消したら、人は他の生物と同じになり、「死んだら、また生まれる」のだ。
もし、震災で2万人の命を失い、その命はけして戻らないとすれば、大きな悲しみと苦しみを永遠に持つことになる。残された彼らを愛する人たちはけして救われることはなく、後追い自殺するしか生きる術がなくなってしまうだろう。
復興カードの発想は、亡くなった2万人の方の復活である。キリストだけが死んでも復活するのではない。すべての人が他の生物と同じように死んでは復活するのである。個人の名前も、その数も、大した問題ではない。それを支えているのは生死を繰り返す命の問題だからである。
そこで、お金の研究も一区切りをつけて、生死の研究を、実際に散歩しながら始めたいと思う。食事と運動を中心にした健康作りから始めたい。奇しくも、このプログのテーマが「生きているということ」だったことに、驚いたところだ。