テレビからネット時代に変わったなあ

 先日16日、「脱原発」を訴える大規模な市民集会「さようなら原発10万人集会」が開かれ、17万人集まったが、それがまったくテレビ報道されない時代に入った。これほどの人数が集まったデモ集会はソ連の崩壊の前の歴史的事件にも匹敵する。

 人々が一番信頼し、楽しみにしているテレビ報道がこうした歴史的事件を報道しないことはマスコミが政府権力や金に従属しており、人々の姿を伝えず、洗脳する方向に走ったことになる。

 テレビに代わるのはインターネットであろう。フェイスブックやツイッターがあっというまに国の改革をしたように、テレビが人々を先導する時代は終わり、インターネットとくに、ソーシャルネットワークが時代の先頭に立ってきたようだ。

 日本の改革は明治維新のころから、無血改革という平和的改革ができる民族のようだ。人は武力よりも、信じられる言葉の方が強く働くようだ。

   それにしても、大きな時代の変革をこうして観られたことは生きてきてよかったとつくづく感じられる。
 お金のために働く時代は減価貨幣の電子マネーによって、ベーシックインカムが実現した時に終焉を迎える。お金の時代は終わるのである。労働の主流はボランティア団体になり、株式会社は廃れていくだろう。

 原発や核の時代の終焉とともに、武力の時代も終わる。そして、法の時代が国際的に実現されていくだろう。

 こうした時代の流れはまさに自然に変遷されていく、奢るものは久しからずというのは自然の循環であり、生死の交替のように、新旧交代される社会になるようだ。

 こうした時代に変わる力は人々が夢見ることが同じだからなのだろう。誰だって殺し合う事を望まないし、格差社会を望まないからだ。人が助け合って生きることがこの上もなく幸せにさせてくれることを知っているからだろう。

 

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