法治国家はより多くの理解から

 お金のシステムを変革しようとすると、どうしても政治を変革しないと実現できない。それはお金が法定通貨であるということである。地域通貨はお金であっても、法定通貨ではないため、強制力がなく、国全体に通用力がないので、単に賛同する会員だけで通用するしか道がない。

 政治を変革するには法律を変えることが必要である。それは逆にいえば、法律を変えるのが政治の仕事であるともいえるだろう。

 その法律を変えることができるのは国民であるが、民主国家の場合は、一個人の国民ではなく、過半数の国民である。独裁国家は一個人であり、国連は戦勝国や大国の政治的意志が決める。

 また、国際間の領土問題などの解決には、国際法が欠かせないが、その国際法に強制力がない限り、無効である。

 法の強制力というのは、多くの人間がその法を受け入れることができるかということであり、その法の理解力が一番重要になる。多くの悲惨な喧嘩が誤解や暴力から生まれることからも、いかにその法を理解するかどうかが平和的解決につながるといえよう。

 それはお金のシステムの変革においては、誰でもがすぐに理解できる内容でないと実現はできないということだ。また、無法地帯であっても、相手の誤解を指摘し、お互いに理解しあえるような行動が最も効果的であるということである。

  売られた喧嘩を買うのが喧嘩を大きくすることだが、理解とは、売られた喧嘩をよく吟味して、買うかどうかを決めるようなものである。売られた喧嘩をよく理解すると、以前よりも仲良くするチャンスにもつながってくるということでもある。

 ピンチはチャンスというのは理解を深めることから生まれる。

 金融危機というピンチが、新しいお金のシステム(法)にするチャンスであるといえるのも、「お金とは何か?!」を多くの人が理解することから始まるといえよう。

 

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