権力か政策か

 石原都知事が新党を立ち上げ、政策の違いは些細なことであり、もっと大きなことで第三極の大連合を造ろうとしている。

 政策よりももっと大きなこととは、明らかに権力のことであり、現実的に実施できる力を持つことである。

 大きな敵が同じならば、小さな党(軍隊)はそれぞれの意見は違えども、一緒になって敵を倒すことの方が先決であるということであろう。

 それは今の民主党が自民党を倒すために連合して、政権交代したが、与党となっても、党内で意見が分かれ、一緒にかかげた政策はことごとく、実現しないだけでなく、元敵と連合して、敵が発案した法案を通して、分裂して、元の野党に戻るようなものである。

 一体、どうして政策よりも権力が重要になってしまうのだろうか? それはお金の仕組みが、より多くの金をもる資産家が多数の労働者を支配するように、政治もまた、国民の意志が政治に反映されるのではなく、議員の数が最も多い党の意志が反映されるからである。

 民主主義は多数決が基本であるが、それが原則ならば、国の重要な議題は国民自身が議決権を持つことができなければならないはずである。

 しかし、現実は国民が投票できるのは議員だけであり、政策を選ぶことはできない。というのは、消費増税、脱原発、TPP、憲法改正にわたって、自分のまったく同じ政策を持つ議員が立候補することは99,9%ありえないことであるからだ。

 国民は自分の意志ではなく、期待だけで選ぶことしかできない構造が、権力が最も大きな現実力になってしまうのである。これは武力に対してより大きな武力で対抗するようなものであり、ただ権力者が代わるだけで、国民の意向が反映されるものではない。

 今の政治でいくなら、党が政策を決めることができるのではなく、一つ一つの具体的政策で、党には関係なく、自由に議論ができ、自分の意見で、その議決ができるようになることが先決であろう。

 となると、具体的議題に合わせて、消費増税党、脱原発党、TPP参加党というような常に所属する党を変えられることが必要だろう。

 でも、理想的には政策もお金の発行も、国民の意志で決められるようなシステムが必要であろう。

 

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