旧約聖書の神はエジブトの太陽神かも

 キリスト教とイスラム教の元の神は旧約聖書に出てくるユダヤの神である。これは出エジプト記にも記されているように、モーゼがエジプトで虐げられたユダヤ人を率いて、エジプトを脱出する神話である。

  モーゼの神がその後キリストに受け継がれキリスト教に、さらにマホメットに受け継がれイスラム教になり、その解釈によって、いろいろな宗派ができて今日にいたる。

 最近、BSで「エジプト人」という映画を観た。この映画は紀元前13世紀の物語であり、そこで描かれているアテンの神は太陽神であり、唯一の創造主として、崇められ、まさに民族や貧富の差を超えた愛と平等はキリストの愛と同じであった。

 この「エジプト人」の映画の元になった史実がある。それが紀元前13世紀に生きていたツタンカーメン王である。彼の父親であるアクエンアテン王はそれまで多神教であったのを廃して、唯一の太陽神であるアテンを信仰した。

 しかし、それまでの神々を信仰する民衆や神官に押されて、若きツタンカーメンをかつぎあげて、父王は映画のように殺されたのであろう。

 ツタンカーメンは若くして病死し、その後王位は王家の血を引かない大臣や将軍たちによって引き継がれてゆくことになった。

 映画の主人公である医者であるシヌヘはただ自分の生涯を記した書を唯一の宝として残して映画は終わる。かれは無神論者であったが、唯一神であるアテンの神を最後には信じることになった。

  この主人公シヌヘこそ、旧約聖書で語られているモーゼと重なって見えてくる。

 つまり、キリストとイスラム教の元の唯一神はエジプトのアテンの神である太陽神につながってくる。

 これを最初に発見したのは、どうやら精神分析学のフロイトだったようだ。彼はヒットラーのユダヤ人迫害の馬鹿馬鹿しさをうったえるために、ユダヤ民族は元々エジプト人であったという説をとなえたようだ。

  人は民族の違いで戦争するのではなく、その信仰の違いで戦争するといえるようだ。

 そして、人は信じる内容でその人生が決まるともいえるだろう。

 

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