捨てられないモノに操られる

 人は捨てられないモノに操られ、捨てられるモノに安心する。

 捨てられないモノにはどんなモノがあるだろうか?

 娘が「お父ちゃん、車のバッテリー買ってきて!」というから、私は「それなら、古いバッテリーを持っていかないとできないな。バッテリーはゴミとして捨てられないから」と答えたら、「え、マジかよ!」

 清掃局のパンフレットに、バッテリーは捨てられません、特定の業者に持っていってくださいと書かれている。

 こうした捨てられないゴミは冷蔵庫、洗濯機、テレビ、エアコンなどと増えている。 
 
 特定の業者に捨てられるならまだ救いがあるが、どの業者にも捨てられないモノがある。

 それが核ゴミである。全国の原発に貯蔵されている1万5千トンの核ゴミは特定な業者である青森県六ヶ所村再処理工場に送られる法律があったが、その高速増殖炉「もんじゅ」も1995年以来トラブル続きで稼働していない。さらに、再処理に伴って生じる高レベル放射性廃棄物を埋設処分する場所も決まっていない。

 さらに、原発事故で汚染された捨てられない土壌や瓦礫や灰の量は数千億トンにもなるほどで、とても大きな穴を掘って埋められるほど少なくないし、また、どこかに運べる量でもない。その核ゴミを保管維持する費用は毎年数兆円にもなり、しかも、また原発稼働して、高レベル核ゴミを溜め込んでいる。

 私が運営する倉庫にゴミを詰め込み、数ヶ月で満杯になったが、そのゴミを捨てられず、毎月賃貸料の10万円を支払っていたが、ここ数ヶ月滞納している。その理由を調べたら、100万円の投資をして、すべて大損したためだという。このお客は自分のマンションもゴミ屋敷にしていて、その管理費数ヶ月分滞納しており、その額が20万円になっている。

 お客を強制的に追い出すには溜め込んだゴミの処理料が50万円ほどかかり、マンションのゴミ屋敷は100万円かかると思われ、本人は当然払わないため、当方やマンション住民が負担しなければならないが、滞納を放置すればするほど、その負担額は大きくなるので、早ければ早いほど負担が少なくなる。

 これは赤字が増え続ける店を早く撤退した方がいいとするチェーン経営と同じである。

 今の安倍政権はゴミ屋敷の住人と同じであり、投資した100万円に当たるのは日銀に国債を買わせた額であり、さらなる国債である。そして、原発再稼働で経済復興をしかけるが、はたして、その儲けで核ゴミ保管料を払い続けることができるだろうか?

 結果は予測可能であり、ゴミ屋敷住民と同じく、家賃滞納、赤字増大し、さらに捨てられないゴミで埋まり、我々が生活する場は日本のどこにも無くなってしまうだろう。

 つまり、捨てられないゴミは作ってはならないし、もし、作ったら、その捨てられないゴミに支配され、そのゴミの奴隷になり、しいては命をも取られることになりかねない。

 古今東西、人類がどうにも捨てられないモノがあり、その捨てられないモノに支配され、時にはそれに命を失っている。

 それはカミ(神)とカミ(紙幣)である。

 神を深く信仰した経験のある方は理解できると思うが、神は財産や家族や恋人を捨てられても、唯一捨てられないモノである。仏は宇宙創造神を否定、捨てられたが、仏(悟り・完全知)自身を捨てきれず、やはり最終的に捨てられないモノにしてしまった。そのため、神仏は捨てられないモノとしては同格な存在になっている。

 神仏で戦争も殺人も自殺も起きているのが人類の歴史であり、今の現実である。捨てられないで、信じた神仏に人の心は支配され、進んで神仏の奴隷や道化師になり、自分自身の命を捧げている。

 では「触らぬ神にたたりなし」とする無神教な人たちは何を信じて行動するだろうか?

 神仏の対局にあるのが世俗であり、世俗の心を支配するのがそれもまたカミ(紙幣の紙・神)である。

 山奥に捨てられた数億円の札束は血眼で拾われる騒ぎになる。今世界は紙幣(カミ)なくして、食べ物も、衣服も住まいも得られなくなり、生きるそのものができなくなっている。そのため、カミ(紙幣)を捨てることは命を捨てることと同格になり、カミ(紙幣)は捨てられないモノになり、そのカミ(紙幣)は人心だけでなく、人の生活自身を支配し操っている。

 神仏を信じるモノも信じないモノも、カミカネ(紙幣・紙金)なくして生きられない現実になり、カミカネは神仏以上に捨てられないモノになり、人類を支配する最高のカネカミ(金神)に君臨している。

 しかし、このカネカミ(金神)は本当に捨てられないモノであろうか? 山奥に紙幣を捨てたら拾われるのが落ちだから、捨てずに燃やせばすむはずであるが、そうできないのが、操られた人心である。

 人は心の傷としてトラウマや思い出があり、それが捨てきれずにそれに支配され、生涯を苦しみさいなむように、カネカミもまたカネ=イノチという妄信で人心の喜怒哀楽を操っている。

 こうしたカネカミに操られないようにするには、そのカネカミ(金神)を捨てることができなくてはならない。

 しかし、神仏を深く信じた人がその神仏を捨てることが難しいように、カネをイノチと妄信した人がカネを捨てることはもっと難しいことである。

 しかし、神仏が単なる名前であり、カネが単なる数字であることは明白な真実である。それが捨てられないはずもないのだ。

 神は愛、仏は慈悲、カネは愛や慈悲の証であるように表現されるように、捨てられないモノは愛や信仰や執着で創造されている。しかし、愛も信仰も執着も、人の命があって生まれる心や欲望であり、いわば命の一部でしかない。一個人の命が人類全体の命の90億分の1に過ぎないように。

 この一個人の命は寿命が100年であり、人類の命も過去の恐竜のように、無限に生存が保証されるものではなく、その寿命は恐竜と同じくらいと計算すると、恐竜は2億5000万年前に出現して、6550万年前に隕石落下による大量絶滅したので、1億8450万年になる。人類出現は恐竜絶滅の少し前の6600万年前とすると、残りは約1億1850万年の寿命であろう。

 ただ、ここ数百年でカネカミの心の病にかかり、世界大戦から核競争そして、原発核ゴミで自滅する傾向にあるので、楽観はできない。

 そこで、今の捨てられないカネカミによる病から脱出するには、ゴミ屋敷をすぐに廃棄するような政策が必要になってくる。

 失恋の病を癒すのは新しい恋愛である。人の心をコップに譬えるならば、コップ一杯に入っている愛の水を捨てなければ、新しい愛の水は入れることができない。しかし、一度深く愛した水はなかなか捨てきれないので、新しい愛を受け入れることができないのも人情である。

 しかしまた、浮気するのも、もっと深く新しい愛を知ってしまうと、古い愛をなんの未練もなく捨て去ることができるのも人情である。

 つまり、人類を破滅に導くようなカネカミへの愛を捨て去るには、人類の未来を支えるような新しいカネカミを愛すれば可能になるということだ。

 この新しいカネカミ(金神)こそ、捨てられるカミカネ(紙金)である。捨てられる紙幣とは燃やせる紙幣であり、そこに書かれている数字も寿命のように消え去る運命をもった命のような存在である。

 紙幣に歴史において、興味深いのは古代エジプトの貨幣制度である。この貨幣制度は倉庫への穀物の預かり証(パピルス製)が通貨の代わりとして使用されていたが、古代ローマの征服により断絶した。
 現在の通貨と違うのが、穀物は古くなると価値が落ちるということである。したがって、この通貨は長期保存の出来ない、時間の経過とともに貨幣価値の落ちていく通貨である。

 結果として、通貨を何かと交換して手にいれたら、出来るだけ早く他の物と交換するという行為が行われたため、流通が早まった。その結果、古代エジプトの経済が発達したといわれ、この事例は地域通貨の研究者によって注目されている。

 また、ローマの影響下で貨幣が使われるようになった結果、『価値の減っていく通貨』による流通の促進が止まり、貨幣による富の蓄積が行われるようになりエジプトの経済が没落したという意見もある。

 今の神仏の歴史よりもはるか昔のパピルス製紙幣をたどると、古代エジプトに行き着き、その貨幣制度は腐る穀物の預かり証(紙幣)であった。今の銀行が腐らない金の預かり証(紙幣)を発行して発達し、今の金融経済危機を招き、金持ちが貧乏人を支配する世界になっている。

 我々が神仏や腐らない金で支配されないで、自由で平等な社会になるには「自然に帰る」必要がある。自然における生きとし生けるものはすべていつかは消え去る運命であり、命の性質に乗っ取った捨てられる神仏であり、腐るカネカミである。

 不滅の神仏や腐らない金に支配されることなく、寿命のある神仏やカネカミを人々が自由に生活する一つの道具として利用できるように危急に法整備することが大切である。
 この腐るカネカミは今のネットバンク社会における電子マネーで実現できる時代がきたからだ。つい100年前のゲゼル発案の腐る紙幣では価値が減った分の切手を貼り付ける方法では不便極まりないものであった。

 また、腐らない紙幣発行では政府はいくらでも政府紙幣を発行して、ハイパーインフレを起こして経済を破壊してしまったという苦い経験があるため、それを防止するため、今の利子付き貸借制度が生まれ、その信用債券が貨幣として最も多く流通している。

 信用債券は株券にも、また各国通貨そのものにも変貌し、モノやサービスの価値を表す紙幣の数字はその信用度によって変貌するものとなった。つまり、株や通貨のように、その価値は市場競争によって、毎日増減する貨幣になっているのである。

 それはあたかも人々が激しく揺れる波に浮かぶ船の上で生活しているようなもので、不安定な経済生活が強いられている状態である。

 しかも、この船の舵をとるのは、金持ちの投資家たちであり、貨幣価値の増減をさらに大きくして、経済をさらに混乱させている。

 こうした不安定で混乱する貨幣制度を自然に帰る「腐る貨幣」を基本にした電子マネーにすることが安定した経済社会になることであろう。そして、カネカミは人々の命を支配するのではなく、生活する上で便利な道具として使えるようにするアイデアが、復興カードであり、e中銀券である。

 この自然に腐る通貨、また自動的に支払う税引き通貨を新しく発行することで、今までの信用債券貨幣は金融取引税(トービン税)を採り入れたりすることで是正されていくだろう

  というのは、税とは腐ったお金の部分にあたり、捨てたお金の金額のことだからである。

 例えば、国はお金を1万円発行し、国民がそのお金1万円を燃やして捨てると、国はさらにお金1万円を発行することができる。すると、1万円の貨幣は流通することになる。

 これは国が1万円発行し、国民に与えて、1年後1万円の税金を徴収しても同じように、1万円は1年間流通し景気がよくなる。

 もし、国が1万円発行し、国民の誰かが一人1万円貯蓄すれば、貨幣は流通しないで、デフレ不況になる。そして、国はその1金持ち国民に利息付きで借金(国債)をして、信用貨幣1万円プラス利息1千円が流通する。一年後国の威信をかけてその金持ちに返済すると、カネがなくなってしまうので、さらにその金持ちに1万1千円プラス利息1千1百円借り、その信用貨幣が1年間流通する。つまり、国の借金はこうして現在1000兆円に膨れあがってしまったが、さらに数十兆円借金するしか道がなくなってしまっている。

 つまり、腐らないカネの債券システムでは金持ちの国以外は、どんな国でもいずれ破綻するか、貧富の格差が膨大になり、革命で政変するしか道がなくなる。

 自然の水が天地を循環するように、カネを自動的に社会循環させることがこれから生きる人類のカギとなるだろう。

 

 

カテゴリー: お金って何だ, 社会問題, 自然に生きる パーマリンク