「骨を残すな生き様を残せ」と昔から言われていたと思って、ネット検索したら、自分の言葉がトップに出てきて、どうやらこれは昔からの自分の言葉のような気がしてきた。
調べてみたら、この意味のことを最初に言ったのは内村鑑三であると思われる。
「・・・それならば最大遺物とはなんであるか。私が考えてみますに人間が後世に遺すことのできる、ソウしてこれは誰にも遺すことのできるところの遺物で、利益ばかりあって害のない遺物がある。それは何であるかならば勇ましい高尚なる生涯であると思います。」
この文章を端的にいうと
「われわれは何をこの世に遺して逝こうか。金か?事業か?思想か?…何人にも遺し得る最大遺物―それは高尚なる生涯である」
地域活性化の礎は個々人の生き様 スタイルジャパン研究所
この序文で、
「天地始終無く、人生生死有り」の頼山陽の詩をあげている。つかの間の人生において、天地自然のように永遠に残せるものは何だろうか? それが「勇ましい高尚な生涯」とした。
しかし、私は内村鑑三が、金が使い道で善悪あり、事業・思想にも善悪あるが、利益ばかりあって害のない遺物として「 勇ましい高尚なる生涯」として、生涯にも善悪があることのようにしたことが矛盾していると思える。
「人生善悪有り 天地善悪無し」であろうから、天地のような永遠なる生涯となれば、それは「善悪無しの生涯」である。それは親鸞が伝える、「善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人をや」(歎異抄)からもいえる。
そのため、
「誰にも遺すことのできる遺産ーそれは生き様である」
歴史において、悪名で有名な生涯も残されている。それは反面教師の意味でも、未来の人は反省することができる遺産である。これは負の遺産であり、永遠に残るものである。
しかも、生き様を残すことは今のIT時代では誰でも、「自伝」をサーバーやカードやDVDに残せる。
それは骨を納める墓所ではなく、サーバーに自伝を掲載したサイトでもいいし、自分で自伝をホームページやDVDなどに残せば それが最大の遺産になる。
「骨を墓に残すな、生き様をサーバーに残せ」
すると、TEDで発表された「After your final status update」(死後のデジタルライフ)
も実現でき、死後も後世の人とのつながりができて、死んでも生きているかのような世界が生まれる。