「残りの命をどう使うか?」という問題は何も老人に限って考えることでもない。病気の人はもちろん、若くて健康な人だっていつかは死ぬことは確実なので、「残りの命をどう使うか?」を考えてもおかしくない。
残りの命を使うのは「自分」なので、自分のできることが制約になる。次の制約は命のタイムリミットである。三番目の制約が社会的条件であろう。
社会を脱原発に進めたいという希望があっても、それを実現できるのは政治家であり、政治家を動かすことができる者である。老人となった自分ができることは政治家を選択し、投票することだけである。また、脱原発デモに参加したり、再生エネルギーや省エネを家庭で進めることであろう。
つまり、そう大して自分ができることは少ないのだ。
そこで、「残りの命をどう使うか?」で最も大事なことは、「自分しかできないこと!」を選択してやることだ。それは「自分が今までやってきたこと!の成果や反省をどう生かして残すか?」ということだ。
残念ながら、脱原発については3.11以前にはあまり何もしていなかった。そのため、自分しかできないことはわずかだ。でも、再生エネルギーのような自然循環については理論的にずっとやってきた。そこで生かせることは脱原発運動よりも大きいはずである。
「今やっていること!」にも、自然農法の研究みたいなことなので、エネルギーというより、食べ物の自然循環を目指している。
となれば、「自分しかできないこと」は、「自分がやってきたこと」「自分が今やっていること」の延長線にある「残りの命で何をすべきか?」があるってことだ。