運命が人生ではなく開運が人生だ

造った風呂にガス管が結ばれ、点火された

3年に及ぶリフォームの劇的な瞬間であった。

無事 湯が一階二階の湯船とキッチンに流れ、追い炊きも自動湯沸しできた。

仕事を終えて 真新しい湯船に浸かって 3年間の試行錯誤で造りあげた道を回想し、今の天国のような気分にしたった。

屋根以外ほとんど改装したので 気分は新築に近い。

bustoilekitttin5.17

一体 自分は何のために生まれてきたのか?

ボロボロになって 今にも地震でつぶれそうな9坪の二階建てのアパートを遺産相続し、

その住人もいなくなって、そのままでは貸せない状態になっていた。

売りたいが売れない特別な事情があり、新築は法的無理があり、道はリフォームしかなかったが、業者に頼んだら新築と同じ値段になってしまう。そんな予算もないので、山梨から東京の板橋に時間ができると、通い詰めて3年やっと貸せる状態に9割なってきた。

この親から受け継いだボロ屋を自分でリフォームして 再び貸せるようにした、それが自分の人生だった気がした。

この世に生れ出ることは親の遺産を引き継ぐようなものだ。それがどんな環境事情であれ、その人の運命である。

そして、命という遺産を親から引き継いだ運命的な自分を 自分の意志でどう変えていくか、それはいわば開運ということであり、それが人生そのものではないだろうか!

 

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