そもそもお金って何だ?と疑問をもったのが6年前に money as debtという動画を観てびっくりした時からだ
money as debt を’借金としてのお金’では意味があまり解らないので
the actual money is debt ’実際上のお金とは借金である’ と言った方が解りやすい。
貨幣を製造する中央銀行だって 事実上の借金である 国債・株券や外貨を売買して貨幣流通調整せざるをえないことからしても 貨幣そのものよりも借金(債券)の方がより実際上のお金となっていると言えよう。
上記のmoney as debtの動画は市中銀行は中央銀行から安く借りて高く貸すことで金儲けしているという意味だ。
そもそも物的流通させる商いは安く商品を仕入れてその商品を高く売ることである。それは外貨や債券や株券でも同じで 安く金融商品を仕入れて高く売ることで利益を得る。
モノやサービスの生産であっても、安い材料と労賃などの経費で高いモノやサービスを売り上げることであり、流通と本質的に同じ構造のものである。
4人で麻雀をしているときに必要な点数棒は6万点であるが、勝敗して使われる点数はその何十倍の60万点以上にもなるだろう。中央銀行で発行された貨幣は一定の点数棒であるが、麻雀で勝敗して使われ流通する点数はいわば債券である。
貨幣は流通してこそ意味をもつが 流通しなければ何の意味のない形だけのものである。
エンデの遺言の動画もまた衝撃的にお金って何だ?という疑問を投げかけた
この腐るお金(減価するお金)の発想はシルビオ・ゲゼルの『自然的経済秩序
』である。
日本にお金がなかった時代 米がその代わりになっていた。お金=米ならば 米はそのままにしておけばいずれ腐って価値は無くなるのだから、お金だって自然に価値が減っていくのは当然であり、自然であるとした。その減価する貨幣を元にした経済システムを構築すべきとしたが、実際に過去世界の一部で発行流通したが 数ヶ月で廃止された。
貨幣の歴史をみると、石 金銀銅アルミ等から紙幣と変遷し、現在では電子マネーになっており、それらの貨幣価値は売買貸し借り流通することで 日々数分毎に増えたり減ったりしているのが現状であり、それが自然の流れにもなっている。
一体お金って何だろう?
お金の価値が数分ごとに増減するのだから 人類の普遍的価値にはなりえないものである。
生きる上での道具になりえても それは生きる目的にはなりえないものであることは確かである。