一日与食と一生与職を

魚を以て人に授けるは 漁を以て授けるには如かず
授人以魚,不如授之以漁,
授人以魚只救一時之及,
授人以漁則可解一生之需
魚を与えるより、漁を教える方が良い
魚を与えるのは一時の救いだが、
漁を教えれば、自分で一生の糧を得られると知るべし
Give or Teach
“Give a man a fish and you have fed him for today.
Teach a man to fish, and you have fed him for a lifetime”
与えるか 教えるか
「あなたがその人に魚を与えれば、彼は一日食べられるが、
 あなたがその人に魚釣りを教えれば、彼は一生食べられる」
この原典はずっと聖書の話だと私は思っていた。
マタイの福音書
4章18節~
イエスがパレスチナの海べを歩いておられると、
ペテロとアンデレ兄弟が、海に網を打っているのをごらんになった。
彼らは漁師であった。
イエスは彼らに言われた、
「わたしについてきなさい。あなたがたを、人間をとる漁師にしてあげよう」
また、他の兄弟、ヤコブ・ヨハネと、その父ゼベダイが一緒に、舟の中で網を繕っているのをごらんになり、
「わたしについてきなさい。あなたがたを、人間を編んで、とる漁師にしてあげよう」
たちまち、漁師だけでなく多くの民衆がイエスに従いついていき、
その群衆は今のパレスチナ・イスラエル・ヨルダン・シリアの全国へと広がっていった。
イエスが人の道を教えて歩いた、そのシリアでは、
戦争から他国に逃れるシリア難民は数千万人にも及んでいる。
その飢える難民が多すぎて、彼らに、一日の糧として、食料(魚など)を与えるだけでも困難になっている。
やっと流れ着いた移民先で、生きていくための教育(魚釣りの方法など)として、
その国の言語や政治宗教や文化を教え、一生生きていくための仕事を得られるようにするには。
救われる方も救う方もともに、数々の試練が待ち受けているのである。
イエスの教えは
 漁をする=魚を捕る
 人を捕る=魚釣りを教える
であり、
たんに個々人で、魚をとるより、みんなと協力また競い合って
もっとたくさんの魚がとれるような技術を得たり、組織を組んで、
みんなが生きられるような道を一緒に切り開いていこうではないか。
ということだと私はそう思っていたし、今後もそう解釈してもいいように思える。
平和で豊かな日本でも 飢えて死んでいく人もいる。
 「金がない」 「(それを得る)仕事もない」「死ぬしかない」
として、自殺するか、飢え死にするかの道をいく人もいる。
 ピンチは必ずチャンスにもなりえるものであるから、
日銀のマイナス金利で、今日食べるお金を与えられるベイシックインカムが作れる。
全銀システム1
そのお金と同時に必要なことは
一生生きていける仕事を与える、与職政策である。
上のニュースは現政策が「働ける人にはお金を与えない」その根幹に「働かざる者は食うべからず」があるからだ。
それを
「今日生きられるお金と、一生生きられる仕事を与える」
「一日与食と一生与職」政策に切り替えていくことが、世界の飢餓、日本の飢餓を救うことになるだろう。
シリア難民への寄付だけでは問題は解決しないように
魚という「お金」を与えるだけでなく、漁という「仕事」も与えなければ
その根本問題はほとんど解決しないのである。
「一日与食と一生与職」政策において、
一日与食はベイシックインカムでお金を与えれば実現する。
一生与職については、私企業への就職は受け入れる側の自由を尊重すべきである。
しかし、公共事業や公務員への就職は、国民としての当然の権利として、常に解放されていなくてはならない。
もちろん、仕事によって、適性検査や試験や面接が必要ではあるが、参加応募する権利をすべての国民の権利として認めなくてはならないだろう。
それはベイシックインカムに差別をつけないように、公務に関することへの就職はすべての国民に与えられることが必要であり、それがベイシックインカムと対として与えられる仕事である。
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