ここ一年、成功したダイエットがリバウンドしないように毎日挑戦してきた。
だが、結果は努力すればするほど、7キロもリバウンドした。
一昨年はダイエットの挑戦して、19.5キロも痩せたのに、
どうして同じ努力をしているつもりなのに、逆に太っていくのか?
この矛盾がどうにも不可思議だった。
「挑戦すれば必ず成功する」と信じて、一昨年は成功し、昨年は失敗した。
はたと、気がついた!
身体は嘘をつかないが、心は嘘をつく。
昨年は挑戦していたつもりでも、実際は挑戦していなかった。
私の心(=意識=言葉)は身体に対して、痩せる挑戦をしたと嘘をついたのである。
「糖分と炭水化物を今日は摂らなかったが痩せずに太った」というように、食事量を食事内容に置き換えて嘘をつき、あたかも挑戦し努力したのに、失敗したかのような、言い訳、それは嘘の嘘の上塗りみたいになり、それがストレスとなって、さらに、嘘をついて、自己弁護してきた。
挑戦したというのは、食事の量を減らし、運動を増やしたという行為であって、そうしたいという希望が挑戦ではないのだ。実際の行為が、食事の量が増え、運動が減れば、挑戦したのではなく、挑戦から逃げたのである。
「心技体」という武道がある。
心と体を一致させ、その一致させる知識が技である。
ダイエットしたい心と健康な身体を一致させるのがダイエット知識・技である。
心は身体に従い、身体は心に従う。両者は同格にして、上下なし。
心と体が上下関係になったり、離れたりすると、両者は一致しようと働きかける。
身体が病気すると、心が健康へと働きかけ、
心が病気すると、身体が健康へと働きかける。
両者が健康に一致した時に、充実した幸せが生まれる。
心の核心は神仏であり、身体の核心が自我である。
神我一体という心境は、心身が一致した状態であるともいえる、
自然や社会は自分の心にあたり、個人は自分の身体にあたる。
自然と社会の心がそのまま自分の身体に受け入れられ、
自分の身体が、そのまま自然や社会に受け入れられる環境が健全であり、
最高な幸せな生活であるといえよう。
知識を得ようとすることが重要ではなく、自分の身体を自然や社会の心と合わすことが真の知識・技術・悟りであり、それが重要なのである。自分が自然や社会の上でも下でもなく、離れて存在するのではなく、常に同格であり、一致しようと言う「動きが知ることであり、生きること死ぬことであるということだ。
矛盾や苦悩が起きるのは心と体、自然と人間、神仏と自我、社会と個人の関係が、上下になったり、離れ離れになたりするからである。
物事は実にシンプルであり、心と体、自然と人間、神仏と自我、社会と個人が一致しようとする行為が生活するということであろう。