今朝のゴミコンロでは細かい薪がほとんどなく、太い薪ばかりがあったので、
プラスチックごみを燃やす量を増やして、火力をあげ、太い薪をたくさん放り込んだ。
さすが、プラゴミは一種の固形燃料のようで、太い薪を容易に燃やした。
そこで、一日必要なコーヒー用のお湯を沸かし、ポットに入れ、
一昨日作った味噌ラーメン風っ全粒粉すいとんを温め、食べたあと、
火力の勢いがすごいまま、水をかけ、消し炭を作ってとりだした。
すると、細かい薪はほとんどなかったので灰もほとんど出ないで
太い薪だけが6本半もできあがり、鉄板の上に並べ水をかけて冷やし干す
まるでこれぞ、本当の炭火焼って感じで、一人笑ってしまった。
こんなに大きな消し炭が調理後たくさんできるなら
誰でも炭屋さんができてしまうではないか?
炭は石炭石油に代わる前の重要な燃料であった。
近くの丹波山村は今では限界集落ではあるが、過去炭焼きで栄えた歴史がある。
薪は近くの休耕畑や雑草地のジャングルにあるし、山にいえkば伐採され放置された木々がいくらでも転がっている。
薪は森林や田畑の保護に欠かせない伐採と剪定の際にゴみとして出るし、
都会では木材は産業ゴミとして、大量にでるので、それが良質の薪にもなれる。
薪が大量に出ることは大量の炭が生産できるということである。
ゴミを宝にするのが知恵ある人としての仕事
火力発電とゴミ発電と一緒にすれば効率化できる
さらに、炭焼きや加えれば、ゴミが新燃料になることだってできる。
電気は蓄電するには経費がかかり、その技術もまだ未熟段階だ。
そのため、その時その場で必要な量の電気量を生産できるようにした方が、ロスが少なく、
蓄電技術も、需要に合わせた生産システムと合わせれば、もっと効率化できる。
それは家庭で調理する火力が使い終われば、すぐ燃え盛る薪に水をかけ、消し炭を作ることと同じである。
この時できる消し炭は蓄電と同じ働きをして、火力=電気が必要なときに、すぐ燃やせる。
合理化といって、産業や技術が細分化していったが、逆に総合的に効率が悪くなっていったのではないか。
個々の合理化は総合の効率化と合わせて完成させるのが本当の意味の合理化効率化ではないだろうか?
海岸に大量のゴミが流れつく。
そのゴミをボランティアが集め清掃に頼らざるをえない現状はまさに不合理である、
その流れ着く大量のゴミは石油のような燃料に変換できるもの、いわばゴミコンロの材料であり、それは電気にも炭にも、細かく砕いて、圧縮した燃料チップにもできる。
それをそれば、海岸のゴミを集め、そのゴミ発電所に持ち込むのはボランティアではなく、金銭が得られる仕事として成立できる。ゴミを宝にするのが知恵ある人としての仕事であろう。