シンプル美・味・素食
どら焼き用の餡を小豆を煮て作ろうとして、餡にいろいろな調味料を加えてしまい、
味や食感が複雑すぎて、小豆だけの味を生かす塩と砂糖だけのシンプルが一番美味しいように感じた。
それは余計なものを入れないで、最小限に必要な調味料だけで調理した方がベストな味を出せるということではないだろうか。
この最小限の調味料が小豆本来の味を一番引き出すということは
我々の満足と必要と幸福がシンプルな図形で説明できてくる。
足ると知るということ
健康と自然の会の看板を「知足庵」として、「足るを知る家」にした。
「足るを知る」ということは故事ことわざからきており、「満足することを知っているものはたとえ貧しくとも精神的には豊かで幸福である」という意味で使われる。
本当の満足とは何か?
と、探求してみると、精神的な幸福だけでなく、肉体的な快適な幸福にもつながってくることが解ってくる。
例えば食べ物を食べるとき、自分の命を支える最低限必要な栄養を摂取するだけでは何か物足りない感じがする。
もう少し食べて、お腹一杯にしないと満足しない。それはちょうど腹八分の状態で、
満腹感を丸い円で描けば、必要栄養量はその内円に接する五角形(五大元素)で描ける。
さらに満足しようとして、不必要な栄養な腹二分を一杯にしようとするが、
その食べ物が特別美味しい場合などは腹二分を超えても、いっこうに満足できないで、つい食べ過ぎてしまう。
その食べ過ぎの状態はどこまでも満足できない「不満足な状態」であるといえる。
欲望に限界がなくなってしまい、永遠にその欲望を追いかける・・「飽くなき欲望」になってしまう。
それは満足に必要な食物が満足以上先にあるように思い込んでしまうときに陥る不満足状態であるといえる。
その不満が肥満と病気・依存症へと発展してしまうということを理解できてくる。
足るを知るということは
必要が満足以下にあり、不満足が満足以上にあるということを知るということである。
毎朝五次元瞑想をしていると、必要が五角形に見えてくる。
そして、満足が円に見えて、満足の円の中に
必要な腹八分の五角形があり、
不必要な腹二分が満足円内に遊ぶや余裕として、そこに食文化が生まれてくる。
だが、この満足内の二分の不必要を不満足として勘違いするととんでもない間違いを犯してしまう。
満足するために必要を満足以上の不満足であると誤解してそれを信じ込んでしまう。
過ぎたるは及ばざるがごとし
という諺が示すように、
食べ過ぎは不満足を引き起こす
ともいえる。
般遊がストレスが起きない健康の秘訣だと前書いたが、
その遊びは満足の中の必要八部があって、不必要二分の中で自由に調整したり、挑戦したりすることである。
けして、般遊が満足以上の不満足な遊び文化にあるのではない。
遊びの中で、多くの人が多様なギャンブルを楽しむが、そのギャンブルは
家計に必要な生活費を確保して、少し余裕があった資金内で
ギャンブル遊びに使えば家計を苦しめたり、ギャンブル依存症になって自分を廃人にしたりはしない。
車のアクセルもブレーキも、少々の余裕の動きをする遊びがあってこそ、スムーズな操作ができるものである。
満足という幸福(健康)は
必要八分、遊び二分からなり、
それ以上(以外)はみな不満足という不幸(病気)である。