明日のことは他人も、神様でも解らないし、まして自分も解ることはない。
つまり、明日の自分も、誰の意見も、神占いさえも信じてはいけない。
過去のことはどうだ?
自分の過去も、他人も、また世界も宇宙も、神もみな真実消え去ったものである。ただその記憶や想い出の残像を見るだけで、みな幻にすぎない。自分の過去の想い出も、他人の研究結果も、神の言い伝えも、学んだ世界の歴史であれ、それはみな幻であり、真実そうで真実真実ではなく、確実ではないのだから、つい信じてしまいやすいが、信じてはいけないものである。
確実な真実が把握できるのは今の自分、今の他人、今の神、今の世界だけである。それは過去も未来も無にして、今の自分や他人や神や世界をみることで把握できる。
過去の自分、過去の他人、過去の神、過去の世界を無にしないで、その幻想を元にして今をみたら、それは偽りの自分と世界がみえてしまう。
未来の自分、未来の他人、未来の神、未来の世界も無にしないで、それを推測や占ったりしてしまうと、それはみな空想で空しい幻想にすぎない。それは真実ではないのだから、未来予想を頼りに、今を見たら、それはやはり空想の自分、錯覚した世界しかみえない。今の自分、今の世界は今の自分しか知ることができないので、信じるのは今の自分と今の他人、今の世界だけである。
それは自分の経験とか知識とかはあてにならない。また、他人の経験も知識もあてにはならない。今自分は何をし、何を観、何を感じ、何を知っているかであり、今他人は何をし、何を観、何を感じ、何を知っているかであり。今神と世界は何をし、何を求めているか、その今の自分と今の他人と今の世界の事実だけが信じられることであり、信じねばならないことである。
今を認めない人は、過去と未来を認めてしまうからである。
それは逆も真成りで、
過去と未来を認めなければ、今を認めることができる。
過去と未来を無にしなければ今の自分も今の他人も、今の世界も、それらの真実を知ることはできない。
とりわけ、大事なのは、
今の自分を通して、今の他人今の世界を観るのだから、今の自分だけである。
過去の自分と未来の自分を無にして今の自分を観ることである。
もし、過去や未来の自分を通して、今の他人今の世界を観てしまったら、それは幻想と空想の色眼鏡でみた、やはり幻想と空想も姿であって、真実ではない。
今の自分でしか、今の他人も今の世界も今の神も見えないのである。
だから、
信じていいのは今の自分だけであり、
信じるは今の自分だけ
その今の自信だけが真実をキャッチする