自殺は犯罪か? といったら、法によって禁止されていないし、自殺して罰せられることもないので、他殺と違って犯罪ではない。
6年位前、ある会合で「自殺を自分の自由の権利として合法化したい」という青年がいた。当時、びっくりとして、その数十年前だったか、あるテレビ番組で、ある青年が、「どうして人を殺してはいけないの?」という質問をした時は、もっとびっくりしたことを思い出した。
なんと、「命」に対しての見解が時代で大きく変遷してくるのか! とそういう驚きも重なってきた。
毎日五次元瞑想していると、「命のやりとりが良いの悪いのという問題」は消えてしまう。五次元では命が在るか、無いかの二者択一の繰り返し(点滅)があるだけで、そこに善悪の判断はないからである。
四次元以下になってくると、善悪のような相対的判断が出てくる。
しかし、自殺の善悪判断は難しい、むしろ、それは別の問題であろう。
大事なのは
人は自らの意志で、「自殺できる」ということである。
これは、意志が身体よりも優位にあるということである。
病気で死んだ場合は、身体が意志より優位にあるということである。
はたして、「意志と身体」どちらが優位なのか? まさに矛盾する命題である。
矛盾解決には第三者が「その意志とその身体で殺しあったらどうなる?」と問いかければいい。
その第三者こそ、「自然(現象)」である。
具体的な意志と身体で、殺し合いさせるとする。
「あと1か月の余命の癌患者が家族に迷惑かけたくないとして、明日自殺しようとした」
明日自殺は可能であるので、
「意志は身体よりも優位に立つ」が真実である。
動物はみな意志で身体を動かすことができるので、当然ではある。
だが、明日自殺する前に、今日大地震が起きて、死んでしまったら、何が優位だっただろうか?
「身体よりも優位である意志よりも自然の方が優位に立つ」がまた真実である。
つまり
身体<意志<自然
の順で優位にあるというのが真実である。
この何気ない真実には、ピンチをチャンスに、困難絶望を乗り越える力が隠されている。
後一か月の癌患者の意志がその身体よりも優位であることは真実なのだから、
その人は「不治の病といわれる癌を克服して、もっと生きられる力がある」という真実なる証拠でもある。
実際に、そう宣告されても、自然治癒して長生きできている人もいることからもいえる。
自らの意志と身体との闘いにおいても、
「諦めた時が負けた時である」
それは
「諦めなければ勝つ」のが自然の掟であるともいえる。