明日、外国人記者クラブで開かれる”Ninja Kenbiki Night”に行く。
健康と自然の会の講師二人が講演するからだ。
映画の影響か、外国人には多彩な技を使う武士をみな忍者に見えるようだ。
柳生心眼流に伝わる人を殺す殺法と、人を活かす活法があり、
その活法の中に「腱引き」という痛みを解消する技がある。
痛みを感じる筋肉の腱を太い弦を鳴らすように指で引くと、収縮して凝り固まった筋肉が弛緩して、痛みがとれるというものだ。
外国人にとって、西洋医学にも東洋医学にもない、武士道の中から日本独自に発展した痛みを取る医療技は実に不思議な忍術のように見えるのかもしれない。
外国人記者クラブの場所が有楽町、地図でみると、桜田門の近くにあり、ここ157年間の歴史が垣間見えた感じがした。
桜田門外の変は、米英仏から開国を迫られ、幕府の開国派の井伊直弼と、尊王攘夷派の徳川斉昭との争いから生まれた。その1860年3月3日を機に、大きく時代は幕末から明治大正昭和平成へと変ってきた。
この桜田門の中心にして、皇居、警視庁、国会議事堂、外国人記者クラブまでの数百メートル圏内で、現在までの157年間の歴史を振り返ることができる。
外国人記者クラブは差し詰め黒船ペリー来航にあたるだろう。
井伊直弼はペリーが幕府に献上したピストルを複製した水戸藩製のピストルの銃弾一発で殺された。
武道には西洋のピストルの殺法はない。ピストル殺法に対する活法も人体から玉を抜き出す手術に発展し、剣の活法は刀傷や当身にたいする手当から発展した骨接ぎや腱引きであったとも言えそうである。
原爆という殺法に対する活法はなんであろう? その核ゴミの放射能半減期は10万年の被害を治療する活法は「原爆・原発」製造を止めさせる平和法しかないだろう。