心頭を滅却すれば火もまた涼し

ラストサムライの老夫婦を東京から徳島の大学授業講義のための運転ボランテイアをした6日間、

夫の間違った施術と、妻の執拗な嫉妬によるイジメが、尊敬するボランティアスタッフの女性にされたため、

私は怒り心頭して、このラストサムライ夫妻を怒鳴り、帰りの運転を放棄しても、怒りは収まらなかった。

と同時に、常に頭に何度も浮かぶ言葉が

「心頭を滅却すれば火もまた涼し」

であった。なぜ、なんどもうかんでくるのだろうか???

その意味を検索してみたら、故事ことわざで、

心の持ち方ひとつで、いかなる苦痛も苦痛とは感じられなくなること

とあるので、

「ものは考えようで、どんな怒りも笑いになっちまう」

というメッセージが自分の心の内からとびでてきたようである。

怒りを笑いに転じるには、少々遊びが必要にようだ。

「心頭を滅却すれば火もまた涼し」を簡単に英訳すると、

Fire also cool if the destruction of the shaking.

由来は
中国の後梁(こうりょう)の時代・・六世紀・・の詩人に杜筍鶴(とじゅんかく)

炎天下、悟空上人、
灼熱を避ける一株の松も一本の竹もないところで
一枚の破れ衣を着て相変わらず座禅

安禅必ずしも山水を須(もち)いず
心中を滅得(めっとく)すれば火も自(おの)ずから涼し

この言葉を有名にしたのが、

私が住む山梨市の隣の塩山にある恵林寺の快川招喜禅師が焼き討ちされるときに現実に起きて発した言葉である。

その恵林寺の門前で歌う森高千里

怒りの反対語には3つあるが、喜び、笑い、悲しがある。

私の意識はこの時点で、怒りが悲しになり、ラストサムライ夫婦が可哀そうに映ってきた。

二人は虚栄心で、自分の弱さをカバーしている。

それを小説にして描写すると、悲しい姿になるが、漫画にすると笑いになる。

そして、

ラストサムライ運転道中によって、その教えも演出も、開祖 柳生宗矩(むねのり)の心とは真逆になっており、それは消えゆき、江戸城の無血開城、現在の憲法9条への平和武士道へと引き継がれるものでないことを知った。

でも、彼らが反面教師とすれば

何が一番大事かということを教えてもらい、

2019年 8月6日 午前8時に 留学生とスタッフ3人とで、

NO MORE HIROSIMA

の平和の祈りを5分間できたことは、今も続くこの上もない喜びである。

そして、

次の目標が

Natural  Peace&Helth

に大きく動き出したことは怒りが炎をなって、天に昇り、青空に吸い込まれるような感じである。

 

カテゴリー: 社会問題, 自然に生きる パーマリンク