どうしてマルセ太郎が好きだったのか解った!

正月は日本の年初め、クリスマスはキリスト教国の年初め。

私は10月4日の誕生日が私の年初めである。

それから、新年の抱負・方針を語る。

「今年は何をやろうかな?・・」

67歳になったので、余生の抱負になってしまい、

「いつまでに?」

死ぬまでにというわけにはいかず、

「活動できるまでに!」

と、日本人の平均寿命から引き算して算出する。

剣呼応寿命は・・・・
男は71歳、女は74歳

私はあと5年の健康活動いわば終活期間があるとして、実現までの具体的チャートを作成できる。

 

67歳の今までで一番楽しかったこと、一番好きだったこと、一番求めたことが、

なぜか、奇跡的に、一つの具体的表現にまとまってきた。

 

一日一生一表現

 

オランダのワークキャンプ、マルセ太郎、自信を持つこと

 

特に、自分の一生を表現するにはマルセ太郎芸は必須だというのが解ってきた。

マルセ太郎の表現法を真似ると、三つの楽好求の命のバトンがしやすくなる。

この動画にはカットされた部分が裁判所風景である

マルセ太郎のマルセは、日本のパントマイムのマルセル・マルソーのようになりたいとしての芸名をつけたものだ。

言葉があるとないとでは、その伝達力にプラスマイナスがある。それをカバーするのが、ボディランゲージであり、音楽である。マルセ太郎は落語や映画を取り入れたパントマイム的法則を発見する笑いを表現していた。

 

私はそれをさらに問題解決技法に焦点をあてて、演じたい気分になってきた。

そのテーマは

「健康と平和」であり、楽好探のような「知と愛と幸」を加味した、物語を作って、一人で演じたくなってきた。

 

マルセ太郎の芸にはほとんど道具がいらないし、一人芸なので他人への気遣いが必要ない。

私は好きな尺八一つを道具にして、「健康と平和合わせて、我が名の康平」を演じてみたくなった。

その発表会は、動画配信でもいいし、友人のところに遊びにいって演じてもいい。SNSに投稿すればいいので、ひと昔のように、ライブしたり、本を書いたりする必要もないので、金も気苦労も要らない。

 

それは、自宅で、仕事ではなく趣味として、畑仕事を独り楽しむ「自遊」のようなものである。

 

と、考えつつも・・・

物語を考えるのも、描くのも、どうも苦手でそういう根気がない。

私は理屈屋さんの方で、芸術家タイプの小説家や劇作家のようなタイプではない。

だが、人に自分の考え方を解りやすく伝えるためには、

事実が一番ではあるが、そうした事実がうまく提示できない場合は、

科学者のように、実験をするような、その事実を提示せしめるようなものがいい。

だが、そうした実験も、人の生き死にや、人を傷つけるものはできないため、

仏教やキリスト教の例え話をすることで、人の習性や欲望をうまく表現しやすいものになる。

こうした例え話を創作したり、実際の事件や体験を持ってくるというようなもので、意見を組み立てていく。

その例え話と体験ドラマならば、さらりと書けて、演じられそうである。

あとは、写真や動画にの中の自然観察を中心に構成した様々な事実を集めて、それらを総合した現象からある種の法則や知恵を引き出していく。

事実は創作する必要はなく、探し出すだけでいいし、それにいろいろな事実を知るのは楽しいものである。

自分の意見を言うのはかなり大変だが、「こんな事実がある」という提示は、自分の意見でもあるし、自然の意志でもある。

それはつまり、自分の意志とはいろいろな事実の中から一つの事実を選択するということなのかもしれない。

私自身が生きているということ自体、一つの事実であるということからも、そう言えるだろう。

 

 

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