無償の愛とプラトニックラブは次元的に違う

アンネが13歳の時、3つ上の16歳のボーイフレンドがいた。

その彼がモデルになったかもしれないが、実際に付き合ったわけではない。

アンネが恋したのは仮想空想の男性であり、なんでも話ができる唯一心が許せる男性である。

アンネはユダヤ収容所で、チフスで死んでしまう。

実際に、恋した男性は一人もいなかった。

アンネの空想の男性への愛は実際にアンネの問いに答えることも、デートに誘うことも、一緒に話し、食べることもない、なんの見返りもない いわば無償の愛ともいえる。

 

半世紀前に、プラトニックラブというのが純愛の代名詞みたいにいわれていたが、それは単に性交渉がない精神的な愛のように思われ、恋愛感情がないが、セックスだけは共有するのをセックスフレンドと対比することができる。

純愛=プラトニックラブ=本当の愛

汚愛=セックスフレンド=偽の愛

というような、まるで、唯心論が正しく、唯物論が間違いのような風潮ができてきた。

 

アンネの空想の男性への愛は プラトニックかどうかの次元ではないだろう。そこに性行為のあるないはまったく関係ない世界である。

だからこそ、

アンネの空想の男性は無償の愛であって、プラトニックラブという次元を超えた愛なのである。

人間は身体と心を同時に持ち、それは完全に分けることはできないし、完全に分けて考えることもできない。それは無理やり、心身を分けて、プラトニックラブと セックスフレンドという分けたら、不自然であり、その議論さえも無意味なものである。

 

では、

無償の愛と有償の愛と完璧に分けることができるかどうか?

この問いの応えは

この世とあの世を完璧に分けることができるかどうか?

という同じ次元の問いと答えである。

 

そして、アンネの無償の愛は 愛すること自体でその報償の幸せを受け取ることができる。

その愛が空想であれ、現実的な見返りがなくても 愛する自分から 幸せの自分を得られる。

だから、アンネはどんなつらい状況であっても、その空想の男性への恋で、生きる力を得たのであろう、

けして、寂しい 悲しい人生であったとは他人は想像しても、アンネ自身は幸せを愛する空想の男性から幸せの人生を得ただろうと思える。

 

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