なんとか戦争回避できそうなムード

パラリンピックが今日閉幕する。

そして 南北対話、米朝対話も進みだし・・

不安定ながらも いい感じだ・・・

それがたった一人の金正恩が死にたくないという気持ちで降りただけで・・

戦争から平和へと 一気に変わることができたことは まさに歴史的証明である。

 

それは日常生活でも、頑なな自己主張を取り下げるだけで、まったく違った回りの環境が変化するようなものである。

 

この頑なな自己主張、自己信念、自分が信じる思想・宗教が、やたらと他との摩擦を生み出していく。

それらの摩擦を和らげようとすると、逆に邪魔者・敵対扱いされて、よけい摩擦が大きくなってしまう。

多くの人は「触らぬ神に祟りなし」で、その神様・信念の人を無視するが、親しい者にとってはその無視もできなく、批判も、称賛もできないという ジレンマに陥る。

できるとすれば、その神様・信念の人によって、傷つけられた人を介抱したり、傷つかれる前に逃がしてあげることだろう。

あとは、その信仰、その信念、その主義が、現実・自然に合わないと、本人が自覚するまでじっと辛抱強く待つしかない、

だが、この辛抱なかなかできなくて、つい爆発してしまうと、冷たい戦争が一気に熱い戦争へと変わってしまう。

私はこの辛抱が実に難しく、

「火に油を注ぐようなことをする」「点火剤」とも言われたりする。

それを納めるときは、「自分の主張を取り下げる演技をして、誤ってしまう」「本心で ごめんなさい」と言っていないとバレたら、それは逆効果の謝りだ。

その時は、互角に意見を戦わすしかない。 その時のルールは殺しあわない、殴り合わない、冷静な心で、優しい言葉で、小声でゆっくりと話すことだろう。

そして、意見は互角にして終わるように、

「相手の意見に勝たない、負けない」というくらいが、丁度いい平和解決になり、おさまる。

「みんな違ってみんな正しい」くらいで、まとめ上げればいい。

戦争はコミュニケーション、平和はその休息くらいで 丁度いい塩梅だろう。

こういうコミュニケーションができるようになったのは

なんども宗教に入信、妄信、狂信して、そこから、なんども抜け出してきた経緯があるからだ。

妄信・狂信から抜け出せたきっかけはみな教祖の不祥事、ゴシップであり、言うことと為すことが真逆であった場合に、その教えや信心が間違っていることに気づかされたことだ。

それは 妄信、狂信、誤信に陥っている人の言葉と行為を注意深く観察するだけで、その矛盾に気が付き、それから抜け出せる。もちろん、自分の言葉と自分の行為を観察することで、自分の誤信からも抜け出せるということでもある。

ともあれ、

誤信・狂信・妄信の被害にあったら、一番癒されるのは 赤子の笑いである

 

 

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