仏教を勉強すると、社会的問題の根本的原因が「我の執着」にあることを知らされる。そのため、すべての苦しみから解放されて、極楽に至るためには、「無我」を目標に修行する。
でも、我をすべて取り去ることは死を意味するので、それは不可能だが、我の執着をどんどん削り取って、最小限の我を認め、それを悟りともいう。
経済も同じく考えると、我とは所有権に当たる。
戦争や飢餓の根本的原因はこの所有権にあることが解る。国の違いはその国の所有権であり、飢餓があるのは食べ物の所有権があるためである。宗教や科学の争いも知的所有権から起きる。
経済の元になっているのは貨幣である。
そのため、すべてのモノの所有権を主張させる原因は貨幣の所有権を認めるからである。
仏教と同じく、経済における悟りにいたるためには、貨幣の最小限の所有権を認めることである。
仏教における「無我」とは「真我」ともいわれ、それを「仏」ともいう。
そのため、経済における最小限の所有権とは「仏心」や「仏性」に当たり、「一寸の虫にも五分の魂」とか、「一切衆生ことごとく仏性有り」というように、「命」のことを言う。
貨幣における最小限の所有権とは「命を維持する権利」つまり「生存権」のことである。そのため、経済生活の極楽を実現させるためには、人類65億人の生存権を保証する貨幣システムが必要である。
つまり、人類すべてのベーシック・インカムを実現するような貨幣システムが極楽経済にいたる道である。その具体的提案が前々回の基軸通貨の条件である。
所有権とは何か?
これを追求することが、戦争から平和への第一歩になる。
例えば、土地の所有権について考察すると。
私の住む裏山の40000坪を4000万円で売っている。でも、売りに出てから40年間も売れていない。
この土地の所有権とは何であろうか? 出入り禁止の立て看板があっても、登山者が勝手に何台も駐車している。この所有者は東京の不動産屋さんで、毎年固定資産税を国に支払っているが、土地は放置したままである。たぶん、投資のための値上がりを待っているだけであろう。
この土地を本当も持っていれば、どうして国に固定資産税を払わされているのだろうか? この固定資産税とは国からその土地を借りている料金ということができる。そのため、土地の所有権などなく、貸借権があるだけということができる。
減価する貨幣の考案者であるゲゼルは自由土地として、土地の所有権は国だけにして、国民はその貸借権だけを持てるようにする提案をしている。
我々が思いこんでいる所有権とは貸借権や使用権のことだと悟ったら、経済システムは大きく変わることになる。
先の40000坪の土地を投資して金儲けする手段としての所有権を許可しなくなり、その土地を有効に使う人が年に数万円で国に借りることができるようになるだろう。
それに必要な資金に4000万円はいらない。数万円あればその40000坪を自然のキャンプ場にでも開発できることで、経済は活発になる。
所有権から使用権にすることで投資ギャンブル経済から実の命の経済への移行が簡単になる。