ずっと永いこと
仏教は悟り(=仏)を
求めること
だと思っていたが・・
般若心経の
無智亦無得(むちやくむとく)の意味は「悟りは無く、悟りから得られるものも無い」
つまり
「悟りは無い」のだから、求める必要も無い
ということだ。
不悟の悟(みつを)
無智の智(ソクラテス)
不知の知(老子)
の境地と同じである。
仏陀がいう
「法灯明 自灯明」の「法灯明」の法とは仏法(仏・八正道・悟り)
のことだから
「法灯明」は「不悟灯明」また「無法灯明」
である。
それは明日は何が起こる解らないことだし、
昨日はすでに消えて無くなり二度と帰ってこない。
未来も過去も、不悟 不知
その不悟の悟 不知の知 無智の智 無法の法を
灯明(頼り・信)として
今の確かな自分を灯明(頼り・信)として
生きよ!
要約すれば
「自灯明=自分の魂」だけを頼り(支え・自信)にして今日一日をしっかりと生きよ!
目的は未来に在り
原因は過去に在る
未来も過去も不悟なのだから
目的も原因も不知であり、不確かで在る
確かな目的と原因が在るとするならば
それは今の自分の中(心身魂)にしかないのだから
目的は今の自分の中に持ち、
原因は今の自分の中を探る
ことが一番確かな道である。
自信を持つということ
それは
今の自分を目的に
今の自分を原因に
するということ
不悟灯明
自信灯明
Live now with brightness
of no-enlightenment
of self-confidence