生死がさざ波に観じる

友人の事故で、自分もいつ死んでもいいように準備しだした。

自分の葬式、墓場、資産を娘二人に遺言状として書き留めてみた。

すると、意外なことに気付いた。

「死ぬとは生まれる以前の世界に帰ることだ」

時は河の流れ

生死はその川のさざ波

さざ波の浮きて光るのが生きている

さざ波が沈んで暗くなるのが死んでいる

そして、

いろいろ苦労してやっていることが

ほとんど死後残らないことに気が付き、

残らないようなものはみな生前に処分しておいた方がすっきりする。

娘二人が引き継ぎそうなものは残す。

引き継ぎそうにないものはみな生前に整理する。

それ以外に二人にどうしても伝えたいことは解りやすく整理して残しておく。

それは今生で気が付いたことを書き残し、娘たちが困ったときに役立つようなことである。

そんな作業をしだしたとき、

ドナウ河のさざ波で浅田真央が氷上に舞う姿がちょうど残された人生とリンクしてきた。

死ぬのが恐怖にはならずに、一時の眠りのようにさえ感じる。

そして、いろいろな不安が消えて、平安な気持ちが沸き起こってきた。

不安から妄想が

平安から自然が

拡がっていく

喜怒哀楽がいろいろなさざ波模様にみえて、時は永遠に流れていく。

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