上の娘は何かと親の私に「くちゃくちゃ食べない」「声がでかい」「出かけるときは携帯忘れないで」と、娘が親をしつけるような態度が最近多くなってきた。歳取ると、親子が逆転する現象を多く世間で目にする。
友人、知人からも、「声がでかい」「話が長すぎる」と、けんか腰に指摘されることがある。
自分の欠点が言われて気付くことができても、その欠点を治すことはそうそうできることではない。
中には執拗に私の欠点を言う人がいると、不快感が増してくるので、それは右から左に風のように流してその場をおさめるが、怒り出す人がいると、その場を去るか、その人の縁を切るようにしている。
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逆に、私が家族や友人知人の欠点を指摘したら、相手もそうなってくるのも感じる。
人の欠点を指摘。注意しても、治ることは一生涯ないように思える。治らないものを治すように強制されることは苦痛のなにものでもない。
そうした他を自分の思い通りに動かそうとする人は、自分の意見が強く、また自分の思い込みが強い人に多く、また、物事をすぐ善悪で判断しやすい。
そして、他を動かそうとする人に限って、自分を動かすことが不得手である。それは自分が自分の思い通りに動かないために他人のせいにして、他人を動かすことで、動かない自分を動いたように勘違いする自己満足・自己欺瞞である。
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こういう他人のことが気になってしようがない人、他人を自分の思い通りに動かそうとする人に対する接し方で一番効果的なのは
「自分らしく生きる」
ことであろう。他人にとって、自分の欠点は個性として、自分がまずとらえて、それを治そうとか、自分の欠点とかとらえる必要はない。その個性がその他人に不快、迷惑かけるのであれば、そういう他人とはかかわらないようにし、自分の個性を認めてくれる他人とかかわっていけばいい。
自分らしく生きられる場と人間関係が保てる中で、生きればいい。
自分らしく楽しく生きていることで、他人が気になる人や他人を動かそうとする人も、他人を気にせず、自分らしく生きることが自由で楽しくなるコツだと自然にわかるようにもっていけばいい。
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自分らしく生きられていない人は
自分が何をしたいのかわからない
何もしたくない
他人(家族や友人が多い)が気になってしようがない
他人と比較してコンプレックスをすぐ感じてしまう
こうした状態はうつ病に入りこむ気配である。
自己喪失感にさいなまれ、生きていく自信も希望もなくなる。
死への逃避行を安易に考え、行おうとする。
逆に、それを他人や社会のせいにしてしまうと、
他殺やテロ(自爆テロも含む)や犯罪行為に走りだす。
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こうした自殺や他殺のような犯罪行為に走らないようにするには
他人や社会のことは気にせず、自分らしく生きることだけに集中すればいい。
特に、他人からみた自分の欠点を自分だけは許し、愛してあげ、それをむしろ個性を生かす美点利点だととらえる。
そうすることで、自分らしく楽しく生きられる自由を手にすることができる。
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他人を自由に楽しくさせてあげるには
お節介したり、意見を言ったり、アドバイスを言ったり、まして強制などしないで、
自分が自分らしく楽しく生きているその姿をその他人に見せるだけでいい。
そうすれば、他人を批判することで、無意味な議論に疲れることはなく、他人や社会が自分の思い通りに動かなくても、気にならなくなる。
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自分が健康で平和であることに努めるだけに集中すれば、他には迷惑はかからないし、他人の病気も自分が治せることができないし、戦争も自分が止めることもできないので気にならないし、自分ができないことさえもできるような空しいお節介やアドバイスや意見をいって、それらに巻き込まれ、喜怒哀楽に疲れ切ることもなくなる。
そのように、
自分らしく生きることだけに集中して楽しくしていれば、他人も社会も、それに自然と感化されて、他人のその人らしく、その社会もその社会らしくしていこうという機運も生まれてくる。
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特に、自分らしく生きる幸せを教えてくれるのは身体障害者である。
自分らしく生きることは障害者のように生きるということである。
身体障害者が食べ方がおかしい、声がでかい、覚えが悪い、動きが変だとして攻められることはなく、それを受け入れ、認めてくれる。
攻められるよりも、周りは身体障害者が生きやすくできるように補助してくれるだろう。
それは身体障害者らしく生きていれば、他人も社会も身障者を助けるようにバリヤフリーなどと変化していくことを実感しやすい。
先日、知的障害者を社会の欠点して、殺した方が世の中のためになるとして彼らを大量殺りくした元職員がいたが、それは自分が自分らしく生きられないのは他人の知的障害者や社会のせいにして、まるで、世直しをする勇者のように凶悪犯罪してしまう。
それはオーム真理教のテロ集団もそうである。
自分が自分らしく生きられないのは自分の意識だけの問題であって、他人や社会のせいではない。
自分らしく生きることは
障害者が自分を障害者として認めることから始まるように、
自分の他人から見える欠点もみな障害者のように個性として、自分を受け入れ愛することである。