毎朝、公園でこの遠砧を尺八で練習していると・・
作曲者の宮城道雄が今も生きているかのように、
その魂が伝わってくる。
もし、この作品がなかったら宮城道雄も存在したかどうかも解らず消えていく。
その心も伝わらない。
文化というものは過去生きていた人の魂の証であり、伝承されるかぎり永遠に生き続ける。
では私自身の魂はどうなんだ?
宮城道雄のような作品を残しただろうか?
そんな文化的才能があるわけでもないので、何も残していない。
この遠砧は月夜に衣を木槌で打って柔らかくしている日常の風景と音である。
それを宮城道雄の感性でリズムとメロディを琴も尺八で表現したものにすぎない。その感性は誰にでも解るもので、共感できるから その心が伝わる。
つまり、
日常の生きているという喜びを表現するだけで、その魂は伝わり、永遠の命を得ることになる。
後世に残るような文化遺産のような才能はないが
今生きている歓びを表現することは誰にでもできる。子供が遊んでキャーキャー叫ぶことができるのと同じである。
私は一日一生を 健康・平和・自然を目的にした生活リズムとメロディを表現してみたくなった。
言葉の理屈ではなく、生きている歓びを表現するだけでいい。それが世界中の人に伝わる行為である。今は今自分が何をしているかどうかを誰でも世界中に発信できる時代である。もちろん大小があっても、たとえ、自分だけ独りでもいい。今生きていることの喜びを自分流に表現するだけで、そこに目的も、理屈も、いらない。共感できる心 それが魂であり、永遠の生命の源のように思える。