電信柱越しに日の出を眺めて気付いた。
カメラのレンズは一つ
私の左右両眼の焦点間隔 6.5センチ
カメラに映るのは常に一眼
左眼か右眼だけで、両眼で見た姿は映らない。
両眼で見ると 左右の眼が合成されて 電信柱が透けて見え、
眼の前の障害物である電柱が消えて、一つの日の出が見えてくるのである。
日の出なしで、電信柱の3本の突起を左右と両目で比べてみると
障害物の両目の窓枠が消えて、3本の突起が見えてくるのである。
(画像ではカメラを左にずらして3本の突起を写した)
左右の眼は遠近法や立体を観るためだというが、それは片眼だけでも十分把握することができるように感じる。
両目の意味は、むしろ
両手のようにモノをつかみやすくするために、全体の真実を見えやすくするためのように思える。
また、両足が左右のバランスをとり安全に歩行できるようにするように、
眼の前の障害物を消して、その先まで見通せることで、全体像を観させ、より真実を把握しやすくするためのように思える。
左右の見方や矛盾を合わせることでより理解ができてくるように、より全体的真実を知ることができるようにするためだろう。
知るとか悟るということは観えるということにも繋がっている。
今まで、6.5センチしか離れていない両目の役割を感じたことがなかったが
今回、人間の顔が実に真実を見やすくできていると感心した。
カメラだって、人間の眼に合わせた6.5センチずれた二眼レンズによる合成写真を作る方がより人間らしい写真がとれるようになると思える。
(今の技術では可能のように思える)