鬱病と誤解されやすいタイトルだが、他にうまい表現ができない。
昔、10代の高校生だった頃から、ずっと問い続けてきたテーマが
「いかに生きるべきか?」
だった。その問いが娘たちにとってかわり、親の私は
その問いが
「いかに死ぬべきか?」
に変わっていることにはたと気が付いた!
この変化はなんてことはない。
人生を山登りに譬えてみれば、頂上と50歳とすれば、上り坂と下り坂だというだけのことである。
これを私はUターン説として発表したことがある。
だが、今回は意識そのものが、生から死へとハッキリ逆転していることに気が付いて自分ながらびっくりしているのだ。
私が高校生の頃、「生きるのは何か、勉強って何だ、働くって事はどういうことだ?」と真剣に悩んで、その答えが見つからずノイローゼになり、学校も中断、しまいには1年近く病院に入院せざるをえなくなったことがある。
その心の病には幻聴幻覚妄想がついてきたので、まさに地獄からの生還のように10年以上かけてゆっくりと這い上がってくるしかなかった。ただ、今の多くの鬱病のような症状とはかなり違っているように思える。私は生そのものを否定しなかった、否定できなかったからだ。
これは、自分がどんな疑問を持つかどうかで、その答えが決まってくることと見抜いた結果だった。
問い
なぜ生きるのか?
答え
なぜとは原因のことである。そのため、生きることを否定するための疑問がなぜ生きるのか?になる。
よって、この答えは自殺を誘因するものになる。これがたぶん鬱病の疑問形態である。
ノイローゼ青年だった私はこの問いをこう代えた。
問い、
いかに生きるべきか?
答え、
いかにとは、How である。生を肯定して始めて生まれる疑問符である。よって、自殺思考はなくなり、生きることに前向きになる。WHYは否定疑問符だから、その使用には注意が必要である。
この答えには2つ導き出した。
1,断定する答え・・・・例、生きるとは愛すること、生きるとは創造すること・etc
2,疑問をかっこに閉じて答えを探し続ける・・・
これは数学におけるXを代入する方程式と同じ方法である。不明な数字は( )に閉じそこにXを代入して、計算を進めるようなものである。今はどう生きていいのかわからないけれど、いつかきっとその答えがわかる日がやってくるだろうから、とにかく生きてみよう。
1と2を合わせると、その答えが、断定的なものが毎年変わってきたように思える。そして、その答えはいまもなお探し続ける旅人のようなものになっている。そして、今、問いそのものが、年齢とともに、
いかに生きるべきか→→いかに死ぬべきか
に変わって問い続けている。但し、この死ぬというのは天地から与えられた寿命のことであり、天地に逆らった自殺のことではない。
簡単にいえば、いかに残された人生を有意義に過ごすか?という老境に入っただけのことである。
それにしても、
還暦の60歳には赤いちゃんちゃんこを着せるのだろうか?
まるで赤ちゃんになったことを祝うようなものだろう。
でも、考えようによってはこれは実に似合っている!
人生の上り坂を「この世」
人生の下り坂を「あの世」
とすれば、60歳にして、「あの世」に生まれ出た赤ちゃんになった。
この「あの世の赤ちゃん」を祝うのは朝焼けの赤と対照的な大きくて真っ赤な夕陽をイメージしているのではないだろうか?
朝焼けが愛ならば、夕焼けは感謝になるだろう・
♪♪♪♪♪♪
朝焼けは愛
夕焼けは感謝
燃え尽きて消え去る桜花かな
♪♪♪♪♪♪
いやぁ~実に興味深い哲学でした^^.
やはりごんさんは,何においても,私と似た「真剣さ」をお持ちですね.
死をポジティブに見た,夕焼けの降りていく生き方を,
どうぞ楽しんで過ごしてください^^*
私の中では,「いかに生きるべきか」の暫定的な道は,
『皆がこの人生の主人公と思って,人間味を大切に(自己・他者の個性を最大限発揮して)生きる』
になってます.
また同様に,「いかに死ぬべきか」の暫定的な道は,
『いつ死んでも問題は無い.死んでも魂は消えないのだから.』
となってます.
ここからは,スピリチュアル的な観点になりますが,
一年ほどまえに,私は(ほんとは誰しもが)前世で惑星創造を経験していることに気づいたので,
死ぬまでに,地球で何か成し遂げないと後悔する,・・という意識はなくなりました.
ただ,それだからこそ,「現実世界を遊ぶ」という意味合いが強くなり,
使命感から自由になった途端,もっとやる気が湧いてきて,
いろいろやりたくなった
(例えば,理想のゲームを創るとか,ハトミミ.comにベーシックインカムを提案する,とか)
という感じです.
またお金のことだけでなく,いろいろとお話できれば幸いです^^
>メルサイアさん
え、
>一年ほどまえに,私は(ほんとは誰しもが)前世で惑星創造を経験していることに気づいたので・・
おもしろい気づきですね。私たちの命のラインを大きく広げていくと・・・人類として一つにつながっているだけでなく、地球という命の星にもつながっていく・・・
そう考えると、地球の誕生から今までの歴史が我々の命と魂の歴史ともいえるのでしょう。
その地球の歴史と同じような行程を母の胎内で胎児は経験するようなことをテレビ放映でみたような気がします。
>またお金のことだけでなく,いろいろとお話できれば幸いです
お金はコミュニケーションだとも思っていますので、いかにコミュニケーションするかで、お金の仕組みも改良できるヒントができると思っていますのでよろしく。