真実と幻想
心身が真実であり、感覚と理想は幻想である
自由とは無意識化の自分の体の健康と心の平和であり、意識化の誇張する感覚と心身を制約する理性は不自由な自分を創り出す。
自由な意識とは無意識化の心身の自由(健康と平和)を補助して、心身の病状を健康と平和へ導く先導役である
この世で確かなるもの
身体・心・意識 であり、健康・平和・自由へと向かう
この世で不確かなるもの
神・仏・魂 であり、主に著名人の言葉によって想像され、信じられた幻想である。
それ故に、神・仏・魂は人の解釈によってみな違う姿を演出する。
人々の心を支配し、統治するために利用されてきている。
個人と社会
個人の集まりが社会であり、その実体は個人であり、社会という実体はない。
それ故に、社会はリーダー・代表・象徴という個人を祭り上げる。
個人の心身意識が真実であり、その能力を過剰化し、欲望・理想の幻想であり、その幻想究極が全能の神仏である。
自由に生きるには
自他の健康と平和を求め、互いの自由と平等を認めあうことから始まる
社会においても、個々人の心身意識が
真実実体である。
それ故、人の自他においても
平等であり、
健康と平和を求める自由権がある。
この個々人の自由と健康と平和を認めることから、社会のルールや方針が
決められていくと健全な社会が
形成されてくる。
個々人の病気や苦悩を
自分の意識だけで治癒できない場合だけ
他が補助し、健康と平和へと
導ける社会も健全といえる。
幻想に惑わされず真実に生きるには
喝を入れ、幻魔を追い払う
九字護身法を改良してみた
病魔退散
活法 養灯 波風 躍節 運
(喝のように、一文字で気合が入る9文字)
忍術の刀で横縦横縦で切り、
運で刀を納め、祈る
真実康平(真実健康平和の略)
迷いを払って心身の健康平和の道を選ぶ)
何のために生きるのか?
生きるために食べるべきで、食べるために生きてはならぬ
ーソクラテスー
人はパンだけで生きるものではない。
神の口から出る一つ一つの言葉で生きる。(マタイによる福音書4・4)
イエスは神であり、ソクラテスは命である。
命は確かめられる真実だが、神は確かめられない幻想である。
生きる目的はどんな命あるものも生きることそのことが目的である。
食べること、着ること、住むこと、快楽、理想は二の次であって、心身が健康で平和であることが第一に優先することである
人は病気をしたときに健康を 戦争したときに平和が最も大事であることを認知することができる。
心身の健康と平和に終わりはない。
その維持と病気や戦争の予防努力が常に必要である。
だが、すでの健康で平和だと思い込み、二の次の理想や快楽や仕事や金儲けを第一の健康平和を犠牲にしてしまうと本末転倒となり、病気と戦争が巣くってしまう。
自由は健康と平和があってこそ得られ、健康と平和を求めるのが自由であるともいえる。