最近、「ピンチはチャンスの科学」のような簡単な原理を発見した。
これだけは「どんなことがあっても許せない」ってことが誰だってある。
しかし、それが
「どんなことも許せる」
ことが可能になる技術というか方法がある。
ものごとをもっともっと大きく観るという方法である。
これを名付けて「人を許す科学」と言ってみたい。
☆人を許す科学
人が最も許せないことは愛する人が残酷に殺された場合であろう。
その殺人者を一生涯許せない。たとえ、殺人者が死刑になっても、許せないはずである。
唯一、許せるのは愛する人が以前のように生きて帰ってきたときである。
そこで、許す科学では
「愛する人は生きて帰ってきます!」
と言い切ることができる学問である。
これは、生死というものがまずどういうものであるか、その基礎から学んでいく。
次に自己とは何かを分析発展させていく。
さらに、命や人間や社会・・・現実と真実、心と体というものを勉強していく。
そして、最後に見つけ出す答えが、
「愛する人は必ず生きて帰ってきます!」
である。
昔、「右の頬を打たれれば左の頬を向けよ」 とか、「飢えた虎に命を捧げる人の話」はとても信じられなかったし、それは馬鹿げた行為としてしか思えなかった。
しかし、
「人を許す科学」では、この問題を方程式を解くような感じで、その答えを導き出すことができる。
この問題提起が何を言わんとしていたのか、それがどんな状態で可能か、不可能かが明確に導き出すことができるようになる。
この原理を支えているのが、物事をどんどん大きく観ていくこと想像力である。
例えば、
私たちの生死は宇宙の時間と空間の中で、一瞬のまばたきとしか感じられないという想像をするのである。
人の喜怒哀楽がどれほど小さな自己の視点から生まれてくるかも想像できることになる。
この想像力はどんな視点でも広げることができる。この場合の殺人者の視点にも、被害者も視点にも、首相の視点にも広げることができる。
こうした想像力が人の許せない気持ちを許せる気落ちに替えられるのである。