知足庵の「自然と健康の会」は発足してから1年半にたち、
それがモンゴルのスタディーツアーにまでなった。
それを引っ張ったのは大橋教授であるのは間違いがないだろう。
このメンバーの4人が今回のモンゴルスタディーツアーに行った。
知足庵のメンバーに腱引きの方も参加した。
知足庵メンバーのうちの三人は腱引き関係であり、
腱引き関係以外の社会人は私だけである。
このモンゴルスタディーツアーに集まる人数の比率をみれば、大橋教授が 知足庵、徳島大学 交換留学の三者で何を意図しているか理解できる。
徳島大学学生 3人
腱引き関係者 3人
モンゴルベテラン社会人1人(ネット技術者)
趣味百姓 1人(私)
モンゴルの日本留学経験者 10数人
特に、知足庵に必ず集まる自然農法の人たちは一人も参加していない。
大橋教授を入れて9人のメンバーになった。毎年のメンバーはその半分の学生と教授だけのようだ。
そして、みな別々の目的をもち、大橋教授と同じ目的をもって参加した人は一人もいない。
私はこのモンゴルスタディーツアーに参加する前に、執拗に、大橋教授にその目的は何か?
そう問いかけていた。その応えを得られずに、自分なりに、
「自然と健康」のテーマに、「平和」を入れれば、参加することができ、また参加したいと思うようになった。
つい1年半前は一人暮らしの田舎の老人の余生で、畑仕事を唯一楽しみに生きていた。
1.半世紀ぶりに高校の親友に出会い、彼が徳島に古民家を買い「自然と健康の会」をたちあげ、そこに参加した
2.徳島大の授業を4つ頼まれ、実施した
3.モンゴル大学で、英語によるプレゼンテーション(10分)二つ行った。
私の余生は大きく広がっていったのである。
今まで小さな世界で、恍惚の老人になりかけていたのが、
まるで、20歳の青年にもどったかのような経験を再び いやいや
新しい経験をさせてもらえたのである。
そして、
4、何よりもの宝は、あの世に行く前に、19歳の女学生に恋をしたことだ。
もちろん、青年のときの通常の恋ではない、その恋を 私はシニアフレンドの友愛として、とらえている。
この友愛を実に見事にキャッチ理解できた女性に出会えたことは
まさに大きな広がりを持たせてくれた。
命のバトン先をえた、来世はどこに生まれるかというようなものまで、想像できるほど 時間空間を超えた命の伝達が感じられてきたのである。
19歳の女学生がもちろん そんなことは理解できるはずもなく、
まして、シニアフレンドの友愛が 無償の愛、片思い、の親子の愛に似たもので、映画の寅さんのような恋だから、頭で理解できても、人生経験が長くないと体験できないものである。
だが、彼女は直感的に一瞬で理解できる能力があり、今まで出会った多くの女性にはなかった天性であり、まるで私のために生まれてきてくれたような人なのである。
神や仏を信じなくなって久しいが、
彼女に出会えたことは 神の悪戯・祝福のような 奇跡の出会いさえ 感じられる。
もちろん、それは片思いする人だけが感じられる 幸福感なのである。
当の相手に、それが伝わることは まずもってないものと 長い経験で知り尽くしている。
こういう奇跡を現実にみると、再び神仏を信じたくなるが、その副作用が怖いので やめとく。
私の余生のテーマは
自然と健康 そして 平和 さらに、それらのコミュニケーション技術に広がっている。
老若男女・国 民族 宗教を超えたコミュニケーションには次の3つが必須条件である
1.同じ目線で接すること(平等の立ち位置)
2.互いの自由と尊厳を認めること(自由と尊厳)
3.互いに無償の友愛でつながること(無償の愛、片思い)
とくに、恋愛問題でややこしく問題がこじれるのは それはお金のやりとりや、プレゼント交換。国際交流などで、フィフティー・フィフティーでつながること、お金の貸し借りのような 恩を受けたら返すというような礼儀作法は 平等どいうモラルを勘違いした お互いを縛り付けるもので、正義や忠節 礼節というやっかいな慣習からくる戦争を引き起こす常識である。
愛が憎しみに変貌するのは こうした与えられたら、返すというのがまるで正義かモラルのように強要するところから生まれる。
お金でも貧富の差が大きく生まれるのは 貸し借りに利息が付くからであり、
お金が健康的に正常に働くためには、100%与えるか、100%頂くかで、あり、それは授受の関係である。
それは平和な親子や夫婦の間で日常に行われる金銭的なものであり、かつ恋愛でもある。
こうした無償の愛や片思いの醍醐味を知る者は、
孤独老人とか孤独死からくる寂しさとは無縁なものである。
それは畑仕事をしているときの喜びに通じる 自然と一体になった幸福感であり、
人それぞれがみんな違ってみんな善いと感じる感動と充実感でもある。