Wiegala Wiegala Weier

 

Wiegala は ドイツ語で、Weigela 日本語ではスイカズラ科谷空木(タニウツギ)属の花の名の様である。

weigelaの花は、黄色いのどで真っ白に開き、その後ピンクに変わり、単一の植物で一度に複数の色を咲かせる。花は5月に咲き、本当に明るい緑の葉に向かって飛び出す。

Ilse Herlinger Weberの作詞作曲

チェコ出身でユダヤ教の詩人であり作家。
彼女が住んでいたプラハで、彼女は多くの子供向けの物語を書き、子供向けの多くのラジオ番組を制作。

ナチスの占領後、1939年、彼女と彼女の夫と最年少の子供はプラハのゲットーに閉じ込められ、テレジエンシュタット収容所に収容された。

そこで、イルセ・ウェーバーは、地元の診療所の子供部の看護師、この期間中、小さなものの悲しみを和らげるために、彼女は多くの詩を作曲し、それらをギターに添えて即興で歌いました。

1944年10月、彼女の夫ウィリがアウシュヴィッツへの転勤に選ばれ、イルセは彼に従うことを求めた。

彼女と息子のトミーは、到着するとすぐに殺されました。

ウィリーは生き残り、息子のハヌシュにキスをすることができた。

「ガス室に向かう廊下で、息子と他の子供たちのためのイルゼウェーバーは子守歌 ヴィーガラを歌った」 マルコ・ヴァルド
 
Wiegala

Wiegala, wiegala, weier,
der Wind spielt auf der Leier.
Er spielt so sus im grunen Ried,
die Nachtigall, die singt ihr Lied.
Wiegala, wiegala, weier,
der Wind spielt auf der Leier.

Wiegala, wiegala, werne,
der Mond ist die Lanterne,
er steht am dunklen Himmelszelt
und schaut hernieder auf die Welt.
Wiegala, wiegala, werne,
der Mond ist die Lanterne.

Wiegala, wiegala, wille,
wie ist die Welt so stille!
Es stort kein Laut die suse Ruh,
schlaf, mein Kindchen, schlaf auch du.
Wiegala, wiegala, wille,
wie ist die Welt so stille!
Wiegala

Wiegala, wiegala, white,
the wind plays on the lyre.
He plays so sweet in the green reed
the nightingale sings her song.
Wiegala, wiegala, white,
the wind plays on the lyre.
Wiegala, wiegala, let,
the moon is the lantern,
he stands at the dark sky tent
and look down on the world.
Wiegala, wiegala, let,
the moon is the lantern.

Wiegala, wiegala, will,
how is the world so quiet!
No sound disturbs the sweet calm,
sleep, my child, sleep too.
Wiegala, wiegala, will,
how is the world so quiet!

Wiegala

    訳詞:ありがたや権兵衛

ヴィガラ、ヴィガラ、白き

風が琴を奏で

葉のリードで甘く

ナイチンゲールも歌う

ヴィガラ、ヴィガラ、白き

風が琴を奏で

 

ヴィガラ、ヴィガラ、見て

月がランプのよう

空から闇夜の

テントを照らす

ヴィガラ、ヴィガラ、見て

月がランプのよう

 

ヴィガラ、ヴィガラ、聞いて

なんて静かな世界

優しく穏やかに

我が子も眠る

ヴィガラ、ヴィガラ、聞いて

なんと静かな世界

   替え歌:ありたがや権兵衛(Kohei Okabe)

眠れ 眠れ いとし児よ
楽しい夢みて
歌い踊り 遊べ自由に
どんな事でも
出来る世界だから

参照:Wiegala

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500 miles

 

If you miss the train I’m on, you will know that I am gone
You can hear the whistle blow a hundred miles
A hundred miles, a hundred miles
A hundred miles, a hundred miles
You can hear the whistle blow a hundred miles

Lord, I’m one, Lord, I’m two, Lord, I’m three, Lord, I’m four
Lord, I’m five hundred miles from my home
Five hundred miles, five hundred miles
Five hundred miles, five hundred miles
Lord, I’m five hundred miles from my home

Not a shirt on my back, not a penny to my name
Lord, I can’t go a-home this a-way
This a-away, this a-way, this a-way, this a-way
Lord, I can’t go a-home this a-way

If you miss the train I’m on, you will know that I am gone
You can hear the whistle blow a hundred miles

 

If You の初めの音は レソ

One handred は ミソソ

が古典のメロディ

忌野清志郎の訳詞

少し変更して

次の汽車が駅に着いたら
この街を離れ遠く
500miles 見知らぬ街へ
僕は出ていく 500miles

ひとつふたつみっつよっつ
想い出数えて500miles
優しい人よ 愛しい人よ
懐かしい家よ さようなら

汽車の窓に映った夢よ
帰りたい心静めて
静めて静めて静めて静めて
泣きたくなるのを 静めて

次の汽車が駅に着いたら
この街を離れて 500miles

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自由とエゴ、愛と感謝、自分と社会

自由とエゴ

何が違うのか 自由エゴ
自由は善くて エゴ悪く
何だろう その違い

自由とエゴを 取り違え
歓び怒り 悲しむ
ハッキリさせよ その違い

自由は自分の役割を
越えず生きる 精一杯

エゴは自分の役割を
越えて押し除ける 他人を

愛と感謝

愛することは美しい

感謝することはすばらしい

でもエゴに 気を付けよ

愛は相手をしばりつけ

感謝は自分をしばりつける

互いの自由を 大切に

愛するは 美しい

相手を自由にしてこそ

ありがとうは すばらしい

自分を自由にしてこそ

自分と社会

自分と社会 その狭間で

矛盾にいつも 悩まされる

どう解決したらいいの

自分はより自由を求め

社会は自由を押し潰す

どう決着つければいいの

社会はその流れのまま

自分は自分の役割を

社会は社会に任せて

自分は自分の仕事を

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のんびり素早く

のんびり素早く 若者よ
焦らず怠けず 丁寧に
夢叶えるまで あきらめず
楽しくマイウエイ 進もうよ

健康自然に 年寄りよ
競わず平和を 噛みしめて
生きても死んでも また生きて
楽しくマイウエイ 歩こうよ

ララララらーん ラララららーん ラララララららー
ララララらーん ラララららーん ラララララららーん
ランランランラらーーーん ランランランラーーん
ランランランラらーーん ランランランラーー

 

 

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一日一生を創る

毎朝、公園でこの遠砧を尺八で練習していると・・

作曲者の宮城道雄が今も生きているかのように、

その魂が伝わってくる。

もし、この作品がなかったら宮城道雄も存在したかどうかも解らず消えていく。

その心も伝わらない。

文化というものは過去生きていた人の魂の証であり、伝承されるかぎり永遠に生き続ける。

では私自身の魂はどうなんだ?

宮城道雄のような作品を残しただろうか?

そんな文化的才能があるわけでもないので、何も残していない。

この遠砧は月夜に衣を木槌で打って柔らかくしている日常の風景と音である。

それを宮城道雄の感性でリズムとメロディを琴も尺八で表現したものにすぎない。その感性は誰にでも解るもので、共感できるから その心が伝わる。

つまり、

日常の生きているという喜びを表現するだけで、その魂は伝わり、永遠の命を得ることになる。

後世に残るような文化遺産のような才能はないが

今生きている歓びを表現することは誰にでもできる。子供が遊んでキャーキャー叫ぶことができるのと同じである。

私は一日一生を 健康・平和・自然を目的にした生活リズムとメロディを表現してみたくなった。

言葉の理屈ではなく、生きている歓びを表現するだけでいい。それが世界中の人に伝わる行為である。今は今自分が何をしているかどうかを誰でも世界中に発信できる時代である。もちろん大小があっても、たとえ、自分だけ独りでもいい。今生きていることの喜びを自分流に表現するだけで、そこに目的も、理屈も、いらない。共感できる心 それが魂であり、永遠の生命の源のように思える。

 

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