Archive for the ‘社会問題’ Category

量子コンピュータの世界

水曜日, 8月 22nd, 2018

0 と1の二進法の現在のコンピュータから、0と1と両者を合わせて表示される[0/1]で、それは2の累乗の表示が可能になった。

これは物事を生か死の二者択一ではなく、生死を併せ持つ存在も表現できることでもある。

それは弁証法の正反合の倫理表現ができるということであり、より現実の特に先祖や子孫の数などにも応用がきくだろうと思える。

 

学ぶことの楽しさを知る

火曜日, 8月 21st, 2018

Know the fun of learning

私の娘が勉強嫌いで、管理栄養士の資格をとるのを躊躇していた。

My daughter hated studying and hesitated to qualify as a managed dietitian.

思い起こせば、私も今の学校教育では勉強嫌いだった。

If I remember, I also disliked studying at school education now.

だが老齢になって、健康と自然を学ぶことが楽しくてしようがない。

But as old age, learning health and nature is fun and can not be helped.

学ぶことが好きになるか、ならないか?
その違いは何か?

Would you like to learn or not?
What is the difference?

それは学ぶ理由だろう?

Is that why you learn?

その答えを覚えるための学びか?

その答えを探す学びか?

Do you learn to remember the answer?

Do you learn to find the answer?

覚えるのは辛いが、探すのは楽しい!

It is painful to memorize,
It is fun to look for!

つまり

管理栄養士の資格をとるのは辛いが、

栄養士になるのは楽しい。

It is painful to qualify as a managed dietician,

It is fun to be a dietitian.

総じて

これまでの常識を覚えるのは辛いが、

その常識を超えて真実を追求するのは楽しいってことだ。

Generally

It is painful to memorize common sense until now,

It is fun to pursue the truth beyond that common sense.

常識と真実それは辛さと楽しさ

 

An academic paper came

土曜日, 8月 18th, 2018

そのメインは上記のビデオに象徴される。

Its main is symbolized by the above video.

今回講演されるプレゼンは45もある。

There are 45 presentations to be spoken this time.

1人10分のプレゼンと5分の質問がある。

There is a one-person ten-minute presentation and a five-minute question.

つまりプレゼン時間は11時間15分になる。

In other words, the presentation time is 11 hours 15 minutes.

主に、pdfの論文であり、パワーポイントはなさそうだ。

It is mainly pdf paper, there seems to be no power point.

ともあれ、発表されるタイトルだけをみると、私が話そうとするポイントに合っているのにはびっくりした。

Anyway, looking at only the titles to be announced, I was surprised to see that I agree with the points I’d like to talk about

だが、気が滅入るのはそれらが英語で発表されてもチンプンカンプンで、11時間15分もじっと聞いていられるかどうかだ。

However, it is disgusting whether I can still listen for 11 hours and 15 minutes, even if they are announced in English.

それに、もし私がプレゼンした後に質問がきたら、その内容も解らないし、英語で答えることもできない。

Besides, if a question comes after my presentation, I do not understand its contents nor can I answer in English.

つまり

プレゼンの前にこう言うしかない。

That is,

I have no choice but to say this before the presentation

私は英語がよくできないので、質問されても解らないし、解っても答えられない。

そのため、15分間の持ち時間をめいっぱいプレゼンだけに使わせていただきます。

I can not speak English well, so I do not understand even if asked, or even if I understand it I can not answer.

Therefore, I will use only the presentation for 15 minutes of time.

ともあれ、

日本人からみたボルネオの姿を紹介することはできるだろう。

Anyway,

I will be able to introduce the appearance of Borneo seen from the Japanese.

それに、ボルネオ学会に参加できるからこそ、自然農法を世界的視野で考えることができたことは大きな喜びである。

It is a great pleasure to be able to think about the natural farming method from a global perspective because I can participate in the Borneo Society.

 

Sell the jungle than to sell oil palms

木曜日, 8月 16th, 2018

1.アブラヤシを売るよりジャングルを売れ

You’re worth more than gold.

貴方は金よりも価値がある。

Sell someone with a heart than a thing without a heart.

心がないモノより心があるヒトを売れ。

2.A poor village sold leaves and became rich.

貧しい村は葉っぱを売って豊かになった。

 

This leaf business is also introduced in movies.

この葉っぱビジネスは映画でも紹介されている。

The environment is more valuable than the economy.

環境は経済よりも価値がある。

3.It has turned into a journey to experience life more than sightseeing trips

観光旅行よりも人生体験する旅に変わった。

 

It has become a journey to enjoy conversation with local people and exchange of lives rather than beautiful scenery and souvenirs.

美しい風景やお土産ではなく、地元の人々との交流や生活の交換を楽しむ旅になった。

4.Sustainable agriculture is to protect the forest and the ocean, protect the human nature, and communicate with living beings.

持続可能な農業は、森林と海洋を保護し、人間の本質を守り、生き物とコミュニケーションすることです。

uLet’s become a wildlife and feel that heart.

uWith the indigenous people of the jungle,Play, work, talk, understand, live together

uThen surely ,the way tomorrow will come.

野生動物になってその心を感じよう。
ジャングルの先住民と一緒に、遊び、仕事、話、理解、一緒に住んでみる。

そこから、明日への道が確かに来るだろう。

5.Sustainable agriculture

持続可能な農業

How to approach nature?
How do you live healthily?
Its sustainability can be learned naturally from biodiversity

いかに自然に近づくか?
どのように健康に暮らすか?
持続可能性は生物多様性の自然から学ぶことができる。

6.Why biodiversity is important?

なぜ生物多様性が重要なのか?

Sustainability?
-stable/successful/healthy
Relationship?
– more biodiversity, more sustainability
– less biodiversity, less sustainability

持続可能性?
安定/成功/健康
関係?
– より生物多様性、より持続可能性
– 生物多様性が少ない、持続可能性が低い

7.What is freedom? Is not it to recognize diversity?

自由とは何か? それは多様性を認めることではないか?

 

People recognize each personality, not a way of life aiming at number one, but may feel freedom in the way of Only One.

Then you can enjoy sports and money games without sticking to winning or losing.

If you do, you will try to dominate or not obey a person, and will try to live your way of life.

 

人々は一人ひとりの個性を認識し、そのナンバーワンを目指す生き方ではなく、オンリーワンを目指す生き方に自由を感じるかもしれない。

そうすれば勝ち負けにこだわることなくスポーツやマネーゲームを楽しむことができる。

もしあなたがそうしたら、あなたは他人を支配したり、他人に従おうとはしない、あなたらしい生き方をしようとする。

8.What’s the money? Is the earth round?

お金とは何か? 地球は円いか?

The central banking system is
about to turn into a virtual currency system.

中央銀行システムは
仮想通貨システムに変わろうとしている。

Life is more important than money.
Heaven does not create a man on a person, does not create a person under a person
Money is power. That system is not a pyramid type but a global type, it is a society full of humanity

人生はお金よりも重要である。
天は人の上に人を創らず、人の下に人を創らず。
お金は力。 そのシステムはピラミッド型ではなく、地球型であり、人類の豊かな社会である。

9.Human diversity and Biodiversity

人間の多様性と生物多様性

 

Tropical rainforest, the core of human diversity and biodiversity, now・・
Since the 20th century, the tropical rainforest has declined from 14% of the earth’s surface to 6%

人間の多様性と生物多様性の核である熱帯雨林は今や・・
20世紀以来、熱帯雨林は地球表面の14%から6%に減少している。

For humanity to eat,
it is agriculture · economics · environment · society · business
that protect tropical rainforests.

人類が食べていくためには、
農業・経済・環境・社会・ビジネスが熱帯雨林を保全することだ。

10.Tropical rainforests are the last fortress to survive humanity

熱帯雨林は人類が生き残る最後の要塞である

11.How about biodiversity like water circulation ?

水循環のような生物多様性はどうか?

 

Basically, mountain and coast are biodiversity protected areas,
We set up between them in the human living area.

基本的に、山と海岸は生物多様性保護地域にし、
私たちはその多様性保全地域の間で暮らすようにしたらどうだろう。

12, Farmland to forest within 10 years of protection

保全したら農地は10年以内に森林に戻る

MLC forest was once destroyed to make way for farmland,

now 87% of biodiversity has returned.

・・MLC is the Amazon Experimental Site in Peru

MLCの森は農地のために一度破壊され、

今や生物多様性の87%が戻ってきた。

・・MLCはペルーのアマゾン実験地

13.To live as a human being

人間として生きるためには

Balance between self power and other power

自力と他力のバランス

・Independence is necessary to live freely.
・independence can be supported with others.
・The balance between yourself and others is exactly half.

自由に生きるためには独立が必要
独立は他とともに生きることで保証される
自他のバランスは半々が丁度いい

14,What is most necessary for living is food

生きるために最も必要なのは食べ物

 

Food self-sufficiency rate and other salary rate are exactly 50% each.

It is dangerous to live only with money exporting oil palms.

It is better to plant plants of various kinds of foods in human living areas.

食糧自給率と他給率は実際的に50%ずつが丁度いい。

油ヤシを輸出するお金だけでしか生きられないのは危険だ。

人間の生活地域には、さまざまな種類の食べ物の植物を植える方がよい。

15.Let’s cultivate my field in the summer like a tropical rain forest

熱帯雨林のように、夏の私の畑を栽培してみよう

My field in the summer grows with biodiversity competition like tropical rainforest.

I decided to cultivate not only one type of rice, but also many cereals and vegetables.

夏の私の畑は、熱帯雨林のような生物多様性の競争をさせて栽培する。

私は1種類の米だけでなく、多くの穀物や野菜を栽培することにした。

 

夢か現実か?

水曜日, 8月 8th, 2018

こんな夢を見た。

^-^-^-^-^-^

買ったばかりの自転車であるところに行き、

つい鍵をかけずにそこから離れて用事をすました。

もどって、自転車に乗ったが・・

どうも自分の自転車と違う。

性能はそこそこいいのだが、ふと後輪をみると

鍵が壊されている。

そこで自分の新品の自転車を盗まれたことに気付いた。

腹が立つのは盗んだやつのことだけではなく、

どうして鍵を閉めなかったのかと、自分を責めたこともある。

あまりに自分の不用心にいらだちが隠せなかったが・・・

よくよく考えてみれば・・

自分が新しい自転車を買ったのか?

ひょっとして これは夢ではないのか?

現実的にはどうして古い自転車と入れ替わるのか?

新しい自転車なのにどうして鍵をかけずにその場を離れたのか?

もし、これが夢だったらつじつまがあう。

よし、夢ならリセットできるので、これはなかったことにしよう。

そうすれば腹がたたないだろう。

すると

目が覚め、そのいらだちが夢の中の事件だったことを知った。

^-^-^-^-^-^-^

夢とは仮定の話である

 

大橋教授が、医学はみな

「仮定の仮定を繰り返しているだけだ」

つまり、そこに真実はないという意味だが・・

私が自転車を買って、鍵をかけ忘れたという夢も仮定の話であり、

それが現実(本当)のことと思って、自分を責めていらだつのは実にストレスがたまる。

こういう悪夢のような夢は「もしも 自分がこうだったら」という仮定から空想されて、その喜怒哀楽で右往左往するようなものである。

大橋教授のいう仮定の仮定の繰り返しとは

夢のまた夢、そのまた夢を見ているようなことであろう。

ー^-^-^-^

「無いものを有る」また「在るものを無い」

   という信心もまた仮定である。

 

神という絶対的存在が無いものを有ると仮定するのが

まさに宗教である。その仮定(神が事実存在するならば)が信じるということである。

「信じよ、さらば救われん」

その仮定を信じれば救われるが、その仮定を信じなければ救われないという意味である。

それはその夢を本当と信ずれば救われるが、その夢が本当でなければ救われない。

宗教を信じるものにとって、その信心の中で、喜怒哀楽、奇跡や悪魔までみるのはまさに夢の中で右往左往するようなものである、

私はいくつかの宗教を信じてきたが・・結局、私が救われたと感じたのはその宗教から脱却したときである。

つまり、仮定の夢から本当の現実に目覚めたときである。

ー^-^-^-^-^

トラウマもまた仮定の夢からくる悩みである

 

ずいぶん昔経験したことを、今はそれを経験していないのに

同じ経験をしているような仮定としての夢をみる。

その昔の仮定で、夢をみて悩むのである。

ー^-^-^-^

宝くじも仮定の夢の話である

 

もしも、宝くじが当たったらという仮定を空想し楽しむ自分ドラマである。

ほとんどの映画やドラマはみな仮定の仮定を繰り返す空想を楽しむようなものである。

ー^-^-^-^

医学が仮定の仮定をしているだけならそれは宗教と同じである。

 

免疫学の専門家の大橋教授は医学は現代の新興宗教であるとも言い切っている。

特にそれは癌について如実に現れるようだ。

検査技師が癌細胞を顕微鏡でみて、それがヘンテコな姿をした細胞ならは悪性の癌細胞、ヘンテコでない細胞なら癌細胞ではないと仮定し、その癌細胞を実際に、増殖するか、転移するか 実験検証せずに医者につけ、医者はそれを癌細胞と仮定して、患者に、

「このまま放置すれば何か月の命です」

と占う。

つまり、検査技師も、「ヘンテコな細胞」を検証なしに「悪性癌」として、信じ、その意志の言葉を信じた患者がまさに仮定の癌で、占いの数か月の命を信じる、まさに宗教的占いと抗がん剤・放射線・手術の高額医療詐欺を行うようなものである。

今の科学技術では

「ヘンテコな細胞」が増殖するか転移するか、ネズミのモルモットで実験検証しないとできないが、人間とネズミとは違う細胞なので、その実験検証はできない。

また、シャーレで、「ヘンテコな細胞」を培養しても、それはみな増殖しないので、確かめようがない。体内では悪性細胞も、良性細胞も、増殖するので、増殖するだけでは悪性か良性かは判断できない。

問題はそれが転移するかどうかである。

どの転移が、その「ヘンテコな細胞」を切り取ったり、放射線を当てたり、抗がん剤を塗ったりしたら、転移しないか? というのではなく、むしろ、転移を増長させることにもなるかはまた不明である。

しかし、

アレルギーや虫刺さされで、発疹したところを掻けば掻くほど、それが化膿したり、広がったりすることはよく経験することでもある。

まして、

「ヘンテコな細胞」が良性だったら、そうした手術・放射線・抗がん剤によって、いじりすぎて、よけい化膿、転移、免疫力をなくしてしまうことだってありえる。

つまり、

今の癌治療は

「ヘンテコな細胞」を悪性癌として仮定夢で、なんとか治そうと必死になってあがいているようなものだともいえる。

だが、

その「ヘンテコな細胞」が悪性癌でなく、良性癌で、自然に消えるか転移しないものが現実である可能性はある。

だからこそ、

検査技師と医者の仮定を信じるか、信じないかで、そのドラマは大きく変わる。

だからこそ、

検査技師や医者のような他人のいうことをそのまま信じないで、

そのヘンテコな細胞が悪性か良性かの判断基準が検証できないことをまず知ることは夢から現実に目覚めることでもある。

そして、

自分が納得いくような道を自然の姿に照らし合わせて、他人の悪夢や占い医者に迷わされないで、自分の健康を守るようにしていきたいものである。

ー^-^-^-^

その仮定である夢に迷わされず、

しっかりと

この現実を味わいながら生きていきたいものである。

 

奇跡とは自分らしく生きること

日曜日, 8月 5th, 2018

奇跡を求めるということ

奇跡はそれを求めて得られるというものではない。

疑問に思うことがあると、

その答えを見出した時に、

それが奇跡だと気づく。

それは

この世の奇跡に気づくことが

求めるということである。

それが知るということである。

つまり

奇跡に気付くことが知るということだ。

0-^0-^0-^

奇跡詐欺商法

少年のころは

サンタクロースの話を本当だと信じてしまう。

そうした奇跡的な話を求めたり、信じてしまうのは少年少女の特徴だろう。

また、

祖父から地獄の話とその絵を見て、それが本当だとつい信じ込んでしまい、

怖くてたまらなかったこともそうだろう。

最近、オーム真理教の教祖とその信徒13名が死刑になったが、

この教祖の麻原は私よりも5歳下である。

私が中学高校時代には奇跡や悟りを求める風潮があった。

麻原が空中浮遊というジャンプした写真トリックを奇跡として

あたかも、麻原が神か仏のような力と悟りを得た者のように信じ込ませる

宗教詐欺に青年たちはコロッと騙されて入信し、金を分捕られてしまう。

超能力とか超常現象とかに興味津々で、それが起こせる人を神か仏として、

あがめ、その人のいいなりになってしまい、けして教祖を疑おうとはしない。

こうした詐欺は言葉をうまくあやつることで、

相手に信用させ、お金をまきあげる詐欺商法のオレオレ詐欺と同類でもある。

投資で、簡単に儲かる話にひっかかるのも、これまた人が奇跡的な物事を求める特徴があるからだろう。

こうした奇跡詐欺を信じ込みやすいのは少年少女だけでなく、

オレオレ詐欺のように愛情が強い年寄りにもいえそうで、年齢的なことより、むしろ奇跡的なことをどうとらえるか?で、騙されるか、騙されないか?の道が分かれそうである。

ー^-^-^-^^

 

奇跡も事実も確率的事象

奇跡とは確率的に非常に少ないことの総称であろう。

ギャンブルというのも確率でもっともシンプルななのは丁半の確率50%で。

科学的事実というのは100&ではない、95%あればほぼ確実として通るようなものである。

では地味な仕事はどうか?

それも100%の推測通りのお金が入るとは限らない。

この世あの世にも絶対的な100%の事象はありえないし、それは絶対的な神仏は存在しないともいえ、すべてを知る悟りなども到達できないことも、そういえる。

ー^-^-^-^-^

生まれた自我こそ奇跡

この世に生まれ(=あの世から生まれ)

この世の事象を見る自我は

この世の世界の窓ともいえるもので、

その自我こそ、確率的には奇跡以上の超奇跡みたいな存在である。

その超奇跡的な自我を持つ故に、

人は奇跡的なことを信じ、奇跡的なことを求めていくのだろう。

その特質は奇跡的な命をもらった自我にはけして変えられないだろう。

けれど 人は他人に

なんども騙され、なんども信じては裏切られていくと、

すぐ信じ込まないで、まず疑ってかかる用意周到な知恵を持つ。

そして

どんな物事も自分が納得いくまで確かめてから決断して行動するようになってくる。

その検証と決行を繰り返ししていくとあることに気付かされる。

それは

リセットのようなもので、

常に振り出しに戻されて、自分自身の姿をその奇跡的な存在を改めて気づかされる。

それは疑問に思っていたことが解るということは

追い求めていたものが自分自身の中、自分自身の姿に気付かされること。

奇跡も、悟りも、この自我の姿・自我の中にあることだ。

例えば

陸稲を8年も自然栽培しようとあれやこれや実験してきたが

陸稲栽培は自分の畑では不自然で不向きであるとして諦めた。

そして、

主食という稲という常識的観念から抜け出て、自分が本当に望んでいた畑の姿が、

自然栽培で、いろいろな野菜や穀物を作ることであったことを知る。

イネだけではなかったのだ。

それを知ったのは、稲というものを追いかけて、自分の本当の欲望に気付かされたからだ。

自我という命は生物多様性と人間多種性に支えられていることを気付かされる。

それまで求め続けていた自給自足、主食の自然農法という妄想から脱却できたということである。

ー^-^-^-^-^

つまり

 

奇跡とは自分らしく生きることである

 

 

 

ダイエットは終わりなき旅

土曜日, 8月 4th, 2018

ダイエットを志してもう4年になる。

なんどもリバウンドとリダイエットを繰り返す日々であるが・・

昨年、偶然にも楽にリダイエットできた。

一日だけ断食して、それでダイエットする意欲を強め、その流れで体重計を眺めながら

減ったら、そのままの運動と食事を続け、減らなかったら半分に食事を減らすというようなことをしたら、目標体重まであっさりと1か月で5キロ痩せられた。

だが、それもリバウンドまでは1か月後にもとの体重に戻る。

それから、同じような方法や、モノを買わない方法を試したが、体重はほとんど変化なし。

そこで、二か月前から、月初めには断食dayを設けて、二度ばかりリダイエットを挑戦したが、やはり体重は変化なし。

三度めの8月1日に、断食dayを設けたが、完璧にはできず、未だに体重も体脂肪も変化なし。

でも、

ダイエットの挑戦を一生涯かけてやっていくと決めていたので、

むしろ、ダイエットを挑戦するときに、いろいろな考えが生まれてくるのがけっこう楽しいものである。

今回はこんなダイエット考である。

0-0^-0-^0-^0

食事は薬、食べ過ぎると毒になる。

甘いもの、美味しいもの、刺激性のあるものは習慣性を持ち、

煙草や酒と同じ中毒にもなりやすく、刺激を受けないと我慢できなくなる。

いわば

刺激依存症になり、麻薬と同じで、肥満から多種な病気になり、寿命を縮める。

麻薬中毒を治すのと同じで、ある期間、その刺激を与えなければ、その中毒から解放される。

断食も同じで、最初はつらいけども、続けると食べなくても楽になってくる。

だが、

麻薬と食事の違いは

麻薬がなくても生きられるが、食事をしないと生きられない。

断食しても、そう永くは続けられない。

私はそのストレスが大きくなり、蕁麻疹やアレルギーがでてこまり中止することが二回ほどあった。

麻薬から解放されても、また麻薬に手を出したら、もっとひどい麻薬中毒患者になる。

それは飲まなくても生きられる煙草でも酒でも、ギャンブルでも同じである。

食事は食べなくては生きられない。

そのため、ダイエットに成功しても、以前と同じ好きな食べ物を一口でも食べてしまったら、リバウンドをしてしまう。

反動ストレスで、以前よりももっと肥満になってしまう。

この麻薬ジレンマから抜け出すにはどうしたらいいのだろうか?

それが刺激性依存症が麻薬でも食事でもいえることで、薬物依存症である。

肥満は刺激依存症

 

食事の中で、刺激性のあるもの、旨すぎて食べ過ぎてしまうもの、つい癖になりやすいもの

中毒性になりやすい食物と飲料を摂取しないで、ちょっと食べて満足できる食物だけを選んで食べ、

それを好きになればいい。

いわば、好きな食物を変えればいい。甘いものが好きだったら、甘くないものや甘すぎないものを好きになるようにすればいい。

どうしても毎日食べたくなる飲みたくなるものは控えて、それらがなくても食事が楽しめる食事に変更していけばいいのではないか。

刺激旨いもの依存症からの解放を目指して次のダイエットに挑戦してみたいと思う。

麻薬からの解放が大変のように、そうした大変さは覚悟してかからないと挫折してしまうだろう。

さてさて、

ダイエットは一生もの、挑戦も楽しみながらやっていこう。

失敗の原因をなんども追及していけばいつしか健康的な生活を楽しめるようになれそうだ。

人が考えられることはあり得るが・・

金曜日, 8月 3rd, 2018

4月初めに麦間に陸稲の蕎麦の種を播き、

7月に麦を収穫せずに、

陸稲と蕎麦が芽を出し、

雑草のように自然交代することを理想として試みた。

だが、麦間には雑草だけが生えたので、それを一度は抜き、

陸稲と蕎麦の芽が出ることを期待したが・・

3週間後は麦間の雑草は1mにもなっていた。

その雑草を抜き立った後に、200坪の麦畑に播いた20キロの陸稲のうち3粒の種が芽を出していた。

2018.8.3

2018.8.3

100万分の1の確率で理想論が実現していたことになる。

だが、その奇跡的な理想論も、1mの雑草を抜き取り、水揚げし、また生える雑草を抜きとらない限り、消えゆく運命である。

50坪の畑に4月初めに蕎麦と陸稲の種を播いたものは、

6月には陸稲は光が入る部分には10センチほど伸びたが、8月初めにはその陸稲の芽は蕎麦が実りきらずに、ほとんど消え去っていった。わずか一万分の1の確率で、陸稲の芽が生きているのを発見した。

蕎麦の下に残る陸稲の芽

万が一の確率で陸稲の芽が残るが生き残れるか??

その蕎麦下の陸稲の芽も消え去る日は近いだろう。

もし、生き残らせるには周りの蕎麦と雑草を刈り、毎日水やりをすればなんとか生き残れるだろうが・・それだけの手間と犠牲をするだけの価値がそこにあるだろうか?

0-0-0-0-0-

多くの理想論がそうだが・・・

あのマルクスの資本主義を修正しようとした共産思想にもいえるだろうが・・・

およそ人が論理的に考えられることはあり得るが、それが実現できる確率は奇跡的な一兆分の1にすぎないことが多いのではないだろうか。

その奇跡的な確率で、突然変異した理想論の稲をなんとか実現させようと必死になっているのが、品種改良であり、遺伝子組み換えであり、ゲノム編集であろう。

共産主義から生まれた国も資本主義の容認する品種改良しながら共産党理想を残しているのもそうだろう。

また、

そうした理想論を必死で追いかけることは

生まれる前にダウン症などの病気が解った時点で流産させるという行為にもつながってくる。

それは二年前に起きた障碍者殺傷事件は意志の疎通ができない障碍者は殺した方が良いという考え方にもつながってくる理想論である。

こうした理想論の根拠になっているのは

その人類の、その人間の、その社会の、その個人の・・エゴからくるものではないかを

問い直してみる必要がある。

その理想を実現するために、

理想的な稲の芽を伸ばすために、多くの蕎麦と雑草の命を、人の労力と金と情熱を犠牲にしていいのか?

また、多くの今の障害者の命を犠牲にしてまで、障害者のいない社会を築こうとしていいのか?

共産主義革命で、どれだけの多くの人が犠牲になったか? そんな犠牲にしてまで共産革命に意味があるのか?

あのオーム真理教もそうだが、理想の国家を築こうと、誰構わず大量に殺していいのか?

歴史的にみても

理想論は人類の、国も、社会の、個人のエゴから実現させようとしていることが多い、

0-^0-^0-^^

理想とか夢とか追い求める前に

その欲望らが、

生物多様性の自然において・・自然の倫理に合っているか?

 

 

自然と欲望を照らし合わせて・・

その理想という欲望をよくよく吟味して

それがエゴなら「諦めが肝心」であり、

けして、「ネバーギブアップ」するなである。

だが、その理想・欲望・夢が自然に合致するなら、

「Never give up」であろうし、「夢は必ず叶う」し、

それに対して努力しても、しなくても、

自然が味方するのだから、その理想は実現するといえるだろう。

0--^0-^0-^

いろいろな考え方がある

それらは考えられる限りあり得るだろう。

「火がないところには煙が立たぬ」

という一面だってあることだから。

しかし、

我々の思考は宇宙の果てでも、何億年前でも後でも飛ばすことができるように

それが実現するということは一瞬で一部ありえるだろうか・・そう永く実現できるものでもない。

縄文時代のように、

その生活がより自然にあっていれば一万年も持続可能であろうし、

その生活が不自然であれば、現代生活は数百年で終わりを告げるだろうと思える。

 

余談・・

 

 

二日後

蕎麦を押しのけるように生えた引っ付き虫(コモセンダン草)が繁茂していたのを根っ子ごと引き抜いたら、そこに線播きした陸稲が7センチほど芽を出していた。

この場所は雑草地で、石ころだらけで、耕耘していない荒地である。

だが、畑よりはるかに雑草地の方が稲が芽を出したとはびっくりした。

しかも、蕎麦下よりも、引っ付き虫の下の方がよく芽を伸ばしていたのである。

それから推測すると

日当たりがよい場所なので、稲は水分よりも太陽の光を必要とする。

また、蕎麦よりも、引っ付き虫の種類の方が稲との相性がいいのだろう。

もちろん、

引っ付き虫を抜き取らねば、稲は消え去る運命ではあるが・・・

 

多数決という集団暴力

木曜日, 8月 2nd, 2018

多数決で決められないことがある。

それは命に関することである。

人の命を人が決めることはできない。

その人が自己であれ、他人であれ、

人が創った国であれ、国連であれ、

法であれ、神であれ、人の命を決められない。

命の問題を唯一決められるのは

自然だけである。

 

自然は神ではない。

人間の求める宗教の神や悟りではない。

人間の命は自然に創られた存在であるからだ。

創られた命が同じ創られた命を決定し、

その人の生死の判断を決定していいのだろうか?

それができるのは人の命が創りまた壊すことができる自然だけであろう。

それを創られた者同士がその命を創り壊そうとすることは

単なるエゴのオゴリによる妄想であり、不自然なことをしようとするから迷う

迷って、止む無く多数決で決めようとする。

それは単なる多数の暴力でしかない。

 

民主主義は国民が主人であるのに、国という多数決集団が主人である国民を支配し、その命を決定しようとするのは似非民主主義であろう。

一個の国民も、一個の国も同じ命の重さをもった存在であるというのが民主主義である。

それを多数の国民が、少数の国民の命を支配し、その生死を決定していいのだろうか?

それは集団暴力となんら変わりがない。

 

そうした自然から作られた人の命として判断すると

戦争による殺人、死刑も 人間のオゴリであり、

それは殺人、自殺、自爆テロと変わりない行為であろう。

自分が創造主のような神や悟った仏になったような教祖や信徒や政治家が

その人を救うという名目で、殺しを正当化する事件は後を絶たない。

 

もし、創られた人が多数決でも人の命を決定してはならないという自然法が

世界で承認され、一人1人の意識に働きかけたなら、世界はもっと平和になり、

自然にあった生活ができるように思える。

 

この地球自然を人類だけが支配し、他の生物の命を決定することさえも、

人類のオゴリであり、不自然である。

人類の命も生物の多様性の一歯車にすぎないことを自然は証明している。

 

弱肉強食という一様にみるのではなく生物共存と多様にみるのが自然

 

縄文の多様性が現代人をうならせる

火曜日, 7月 31st, 2018

松形恭知陶工から

日展トークインで話していた縄文早期の土器の写真を送ってきた。

宮崎市田野町で出土した縄文早期の貝文方形土器

彼曰く

「縄文土器というとすぐに火焔土器を思い浮かべますが、

実際には一口に縄文土器と言っても、本当に多様なものではないかと感じます。
縄文時代は約1万年続きますから、その時期によって、
そして、今にようなグローバルな時代ではありませんので、その地域によって、
縄文土器の様式は大きく異なります。
南九州の縄文土器は、縄目模様より、貝殻で文様をつけたものが多く、
貝文土器といった方がよいかもしれません。
そんな多様性が、縄文土器の特色でもあると同時に、
現代人をもうならせる普遍的な力を持つような気がします。」
この貝文方形縄文土器の存在は、上野の縄文展には一つも展示されていなかった。
主に、北方に出土したものが中心で、火焔土器が中心だった。
シベリアから樺太をとおって日本に来た縄文人と、台湾から沖縄から九州に来た南貝文人の二種あってそれらがその土地土地で、独自に発展し、多様な文化を形成したという発見は
どうして縄貝文人は一万年の文化文明を築いたのが?
その多様性を認めた文化だからこそだと、松形陶工の美の視点からの指摘で分かってきた。

遺跡で見る宮崎の歩み(旧石器~弥生)

でみると、火山の噴火と貝塚の生活が基本になっているように思える。

縄貝文土器はみな底が小さく安定性が悪いし、中には底が尖った土器さえある、

貝がらのふちを押)しつけて文様をつけた尖底深鉢形土器
/ 函館市中野A遺跡

こうした縄貝文人は、海水を煮だして塩をとるために、砂浜に土器を埋め、その周りで薪を燃やしたのだろうと思える。

いわば縄文製塩土器だ

宮城県里浜貝塚出土製塩土器2500年前

では、塩を煮だしたり、また貝を煮たりしたとき、

それを杓子で取り出しときは丸い形がいいが、

もし、貝のスープなどをたくさんの人の茶碗に配るなら、方形の取り出し口が急須型がいい、

前原遺跡出土土器~鹿児島県の国重要文化財~

貝殻文角筒土器

レモン型土器

上野原遺跡では

上野原遺跡9500年前

鹿児島県歴史資料センター黎明館

 

こうした貝文方形土器は縄文火焔土器より、より現代的なセンスがあるように思える。

縄文土器の方が多数派で、貝文土器は少数派だったのだろうが、

過去の少数派は現代の多数派になることが歴史上多くある。

縄文時代の少数派の文化をみないと、一万年も続いた文化を理解できなかった気がする。

多様性が文化を 文明を 永く繁栄させるというのは

現代の政治でも、なんでも多数決で決めてしまう。

それは多数の横暴であり、集団暴力であろう。

多数決で決まられないものがある。

それは命であり、美であり、幸せでもある。

それは新しいものがよいとか、進歩した方がいいとかは一概にいえないことが多様性として柔軟で平和的な生活があるように思える。