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投票制度改革からチャレンジ

水曜日, 2月 26th, 2014

夢には二種あって。自分の夢と世界の夢である。若い時は自分の夢にチャレンジすることが望ましいが、老いた時は老い先が短く、その先の夢は死後になってしまう。死後に叶えられるのは世界の夢である。

自分が為したいことで、自分に関することは後回しになり、それは雑務になる。世界に関することはいわば急務のような生きている時にしかやれない事である。

細川&小泉氏のように、私も残った人生を脱原発にかけたい気持ちで一杯である。原発事故を二度と起こさないこと、もうこれ以上の放射性ゴミを増やさないことが後世の人の命を守るため、自分が生きているときにできることである。原発を再稼働させないで、国を脱原発して自然エネルギーへの転換をさせることである。それさえできれば、後世の人が10万年も危険な放射性ゴミを無害化また安全保管できるように引き継がれるであろう。

ただ都知事選で細川氏を応援してそれが破れた時に、巨大な壁があって、それが政治の根本である選挙の投票制度にあると思えたのである。細川氏の街頭演説に集まる聴衆は数千に対して、都知事になった桝添は閑古鳥が鳴く聴衆だったのにもかかわらず、投票数は半分にも及ばなかったことはどうみてもおかしい。しかも、未来の子供たちを守るための大事な選挙だというのに、その投票率が46%という低さであった。偏向したマスコミ報道と国民の危機感のなさにも問題があったが、投票制度そのものを変革することがまず必要だと判断する。

世界を変えるにはまず政治を変えねばならない。政治を変えるにはまず投票制度を変えねばならない。

世界を動かすのは各国政府と国連である。世界から核と原発を無くすには政府を変えることであり、それにはまず投票制度を変える必要があるということだ。もし、正常な投票が行われているならば、原発デモなんか必要ないはずである。アルカイダが投票すれば殺すという恐喝なんかしないだろうし、反政府デモで死者がたくさんでて、ウクライナ政府が変わるようなこともないだろう。

ウクライナデモ

たくさんの世論調査があるが、それがそのまま国政に反映されることはなく、むしろ反対に動くことが多いのは投票制度に問題があるといえるだろう。さまざまな法案があるが、それは多数与党で決められたものだけが通るということはおかしいであろう。今各家庭にテレビや電話やパソコンがある時代に、それぞれの法案を世論調査するごとく、国民投票だって、手軽にできるはずであるのに、どうしてそうしないのだろうか。

そもそも立法・行政・司法の三権分立がまともに機能しているだろうか?また、政治をこうした三権で分類していいのだろうか?裁判官を投票する際に、その氏名を書くのではなく、白紙か、バッテンをつけるかというのはおかしくないだろうか?もし、司法と立法が同権であれば、議員の投票も白紙かバッテンでいいとようにならねばおかしいではないか。

それに行政も同権であれば、どうして公務員全員を投票しないのか? 公務員になりたい人はみな国民の税金で食べていけるのだから、国民の審判にまず受ける必要があるのではないか。それが行われないから、酒飲み運転の公務員が出てくるのではないか。

投票とは自分の命と生活をその人に一任することである。それは自分の命の重みと同じほどの重みがあるのに、どうして、偽札が難しい精巧な紙幣のようでなく、いくらでもコピーしてもわからない紙切れなのか、そして、どうして手書きなのか? 手書きするために、一枚でも無効票が出ることは不正選挙であるといえないか?

命を守る道路交通法に違反すると、罰金または牢獄されるが、もっと大事な命を守る投票に行かないと、罰金また牢獄されないのはどうしてか? もし、道路交通法違反のように、投票に行かなかった場合は駐車違反並の7000円の罰金をかせれば、まず投票率は100%であっただろう。投票者がいないとしたら、棄権ということなら、投票用紙に棄権と記入することだってできるはずだ。

細川都知事選がもし投票率100%だったら、都民は街頭演説にネットもかねて積極的に聴きにいっただろう。それで、圧倒的に閑古鳥の桝添には勝てたはずである。

貨幣改革を減価する自然経済学から発案したように、政治改革を国民の意向をそのままくみ上げるような投票制度から発案したいと思う。