Archive for 2月 24th, 2014

Be動詞への自信を持て_マルセ太郎

月曜日, 2月 24th, 2014

To be, or not to be: That is the question.生きるべきか?死ぬべきか?それが問題だ!

を説明する上でどうしても欠かせないのが、マルセ太郎氏の「Be動詞への自信を持て」という講演です。世界で一つだけの花という歌にもあるように、ナンバーワンにならなくていいい、オンリーワンになろう!五輪メダル獲得競争のような他人との比較からくる優劣される自分の存在ではなく、金子みすずのように「みんな違ってみんないい」とする自分なりの生き方を自己存在であると、ユーモアと簡潔な語り口ですーと心に入る。

Be動詞への自信を持て 中津川市 阿木中学校にて

マルセ太郎(週間「金曜日」1996年7月19日)

この文章は「マルセ太郎中毒の会」で発表されています

be動詞への自信を持て

僕は1933年生まれですから、中学生になったのは敗戦の翌年でした。生まれ育ったのは大阪です。戦争による焼け跡の中、食べ物に不自由していた頃でしたが、それでも中学生になった喜びがありました。電車で通学するため、定期券を持つのがえらく嬉しかったのを覚えています。

科目別に先生が変わることや、小学校ではクラスを、一組、二組と言っていたのが、A組、B組という、つまらないことまで、何か未知の世界が世界が広がっていくように思えたものです。中でも英語が習えることに、わくわくする期待感がありました。しかしこの期待感はすぐに挫折しました。やはり難しかったのです。

 

be動詞への自信を持て2僕らは単純に、英語の単語さえ覚えれば、それをそのまま日本語とおきかえて、英語ができるものと思いこんでいたのです。君たちもそうでしたか。

ところが知っての通り、そうはいきません。主語が変わると、アムとか、アーとか、イズという、つまり「Be動詞」が変化することや、他にもややこしいことが多くでてきます。どうして、アムならアムだけで統一しないのか。僕たちを”勉強”させるため、わざと面倒にしているのではないかと思ったほどです。

Be動詞というのは何なのでしょう。僕らは英文のamの下に、「デス」と仮名をふって日本語に訳していました。今でも「デス」と教えられているのですか。大人になってから考えました。あれを「デス」と教えてはいけないのです。大切なことは、Be動詞を、日本語にはないのだということを、まず教えるべきです。

ではBe動詞とは何か。「存在」なのです。アイアム。私は存在している、ということです。

有名なシェイクスピアの劇、「ハムレット」に出てくる台詞があります。

“To be or not to be” 生きるべきか、死ぬべきか。

“to be”で、生きることを意味しています。つまり存在することが生きることなのです。

話しを急転回します。

よくみなさんは、自信をもて、と教えられていませんか。ことにスポーツの世界では、指導者たちが、自信ということを強調します。先生も親も、上に立つ人は、何かというと自信をもてとあおります。もしかしてみなさんも、自信をもつことが正しいものと、受け入れているのではありませんか。

自信て何でしょう。僕は嫌いです。むしろ害悪だとさえ思っています。なぜなら、それは他と比較する上で成り立っているからです。彼には負けない自信がある。この中では一番になる自信があるとか、すべて競争の論理で成り立っています。こういう自信は、他を差別する優越感にひたり、また逆に、理由のない劣等感に落ちこんだりするのが常です。

それでは自信は必要ないのか。そんなことはありません。生きるため大いに必要なことです。そこで言いたいことは、「Be動詞」への自信をもつということです。

アイアム。アムヘの自信です。私は存在しているのだ、ということの自信です。

ユーアー。あなたは存在している。

ヒーイズ。彼は存在している。ここに優劣の比較はありません。

負けない自信なんて、くそ食らえです。

フランス映画『仕立屋の恋』の中で、アパート中の住人から嫌われている主人公に、刑事が訊きます。

「お前はなんだって、みんなから嫌われているんだ」主人公は答えます。

「わたしも、あの人たちが嫌いです。」

これがBe動詞への自信です。

Be like You?!

To be or not to be?
I am
You are
She is
He is
It is
We are
They are
We all live to be together!

To be, or not to be : that is the question.

月曜日, 2月 24th, 2014

ハムレット日本上陸

明治7年ハムレットが日本に初めて紹介された時はワーグマン発行のこの諷刺マンガ誌であった。

“To be, or not to be : that is the question.”

アリマス、アリマセン、アレ ワ ナンデスカ: モシ、モット ダイジョウブ アタマ ナカ、イタイ アリマス」、そして最後の締めは「アナタ サヨナラ、 ソシテ テ ポンポン」といったなんとも珍妙な翻訳であった。

矢田部良吉・・・・ながらふべきか、しかしまた、ながらふべきにあらざるか これが試案のしどころぞ

坪内逍遥・・・・・世に在る、世に在らぬ、それが疑問ぢゃ

久米正雄・・・・・生か死か、それが問題だ

福田恆存・・・・・生か、死か、それが疑問だ

河合祥一郎・・・生きるべきか、死ぬべきか、それが問題だ

小田島雄志・・・このままでいいのか、いけないのか、それが問題だ

松岡和子・・・・生きてとどまるか、消えてなくなるか、それが問題だ

現在もっとも名訳とされているのが・・

河合祥一郎訳・・生きるべきか、死ぬべきか、それが問題だ 

であるが、これをさらに大阪弁で訳したのには舌を巻いた

ha2ga2o8 やったろか~↗、あかんか~↘、ほな~、どないしょ~↗

どうもこの関西弁訳をしたのはソクラテスの弁明 を関西弁訳した 北口裕康 ではないかと想像するが? はて?

とまあ・・to be is to do を探っていく前置きto be, or not to be がこんなに長くなってしまった。