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お金って何だ!?

日曜日, 8月 30th, 2015

そもそもお金って何だ?と疑問をもったのが6年前に money as debtという動画を観てびっくりした時からだ

money as debt を’借金としてのお金’では意味があまり解らないので

the actual money is debt  ’実際上のお金とは借金である’ と言った方が解りやすい。

貨幣を製造する中央銀行だって 事実上の借金である 国債・株券や外貨を売買して貨幣流通調整せざるをえないことからしても 貨幣そのものよりも借金(債券)の方がより実際上のお金となっていると言えよう。

上記のmoney as debtの動画は市中銀行は中央銀行から安く借りて高く貸すことで金儲けしているという意味だ。

そもそも物的流通させる商いは安く商品を仕入れてその商品を高く売ることである。それは外貨や債券や株券でも同じで 安く金融商品を仕入れて高く売ることで利益を得る。

モノやサービスの生産であっても、安い材料と労賃などの経費で高いモノやサービスを売り上げることであり、流通と本質的に同じ構造のものである。

4人で麻雀をしているときに必要な点数棒は6万点であるが、勝敗して使われる点数はその何十倍の60万点以上にもなるだろう。中央銀行で発行された貨幣は一定の点数棒であるが、麻雀で勝敗して使われ流通する点数はいわば債券である。

貨幣は流通してこそ意味をもつが 流通しなければ何の意味のない形だけのものである。

エンデの遺言の動画もまた衝撃的にお金って何だ?という疑問を投げかけた


この腐るお金(減価するお金)の発想はシルビオ・ゲゼルの『自然的経済秩序

』である。

日本にお金がなかった時代 米がその代わりになっていた。お金=米ならば 米はそのままにしておけばいずれ腐って価値は無くなるのだから、お金だって自然に価値が減っていくのは当然であり、自然であるとした。その減価する貨幣を元にした経済システムを構築すべきとしたが、実際に過去世界の一部で発行流通したが 数ヶ月で廃止された。

貨幣の歴史をみると、石 金銀銅アルミ等から紙幣と変遷し、現在では電子マネーになっており、それらの貨幣価値は売買貸し借り流通することで 日々数分毎に増えたり減ったりしているのが現状であり、それが自然の流れにもなっている。

一体お金って何だろう?

お金の価値が数分ごとに増減するのだから 人類の普遍的価値にはなりえないものである。

生きる上での道具になりえても それは生きる目的にはなりえないものであることは確かである。

 

まず生きることから始めよう

日曜日, 8月 30th, 2015

ゴチャゴチャになった倉庫をどう片づけたらいいのか? 途方にくれることがある。

それと同じように これからの人生がまったく見えない時がある

そういう時 いったいどうしたらいいのか 迷うし、考えても 逃げても 解決できない。

何も考えずに まず やってみる! 目の前のゴミやモノから整理してみる!

同じように 人生に途方もくれたら

何も考えずに まず 生きてみる! 目の前の問題に向かって進んでいく!

その先がどうなるか なんか想像しなくてもいい とにかく 直前の問題に自分ができることをするだけでいい。

すると いつの間にか それができてしまう 解決している。その時の幸福感はひとしおである。そうした経験を何度も経てくると 生きる自信がついてくる

それが自立するということだろう。

昔 経済的自立が自立することの第一歩だと思っていたが 64年も生きているとそれが違うことに気が付いた。経済的自立なんて 最後までできることではないのだ。

今自分が経済的に生きていけるのは亡くなった親が残してくれた遺産があるからだ。自分で作った会社だって 解散せざるをえなかったし、なんとか生きてこられたのは親が残してくれた不動産があり、それを活用したからだ。

 

つまり 経済的に自立できたのではなく 経済的に親に生かされたのが真実である。

この自分の心身だって 親から与えられたものであり、自分で自分の心身なんか創造できるはずもない。経済的自立なんてものはそもそも無理であり、経済そのものが 自他の助け合いシステムであるからにして そうだろう。

過去が無ければ今も未来も無い。親も人類の歴史も今の自分の過去である。その過去がどんなに悲惨であれ 今自分が生きていれば その親と人類の過去に生かされているのだ。

今生きているということは 過去の他人に生かされているということだ。

その過去から逃げて死んだり 投げやりになったりすることは 自殺自滅行為である。

過去の親や人類に自分が今生かされているという自覚は 見えない自分の未来を明るく照らす。

自分から観れば自分は他人に生かされているが それは逆に他人から観れば 自分は他人を生かしているということも真実である。

自分の子どもを育ててきたのもそうだし、畑の作物だって 毎年育てて 生かしている。自分はいつか寿命で死んでいく未来ではあるが 子どもを育て生かしていくことは自分の未来を子どもにバトンタッチさせることである。

それは自分の未来は子や社会人類を生かす姿というのも真実であるのだ。

今生きるということは過去に生かされ、未来を生かすということである。

今にしか自分という存在はなく、過去にも未来にも他人の存在があるだけである。

自立ということは 今生きること 過去に生かされること 未来を生かすことである。