楽しさの3要素

 最近、ニュージーランドのサモア人の親戚とスカイプで、家族の話をしている。テレビ電話で無料で海外の友人と会話できる時代だ。

 昔、サモア人の元妻が、実家の家族に国際電話するので、毎月20万円くらいの電話料金がかかったことがある。これを防止しないと、生活が破綻するので必死だったことを覚えている。そんな時代にあって、いくらでも、無料でテレビ電話できる時代とはまさに夢の時代だ。

 24歳のころ、オランダのワーキングキャンプに出かけたことがある。そこで、15カ国20人くらいの友達になった。そのころの友達に会いたくなり、ひょっとしたら、FACE BOOK で探し、SKYPEで、話が気軽にできるかもしれない。

 こうした話が気軽にできるようになると、世界各国の友人ができ、その間でホームステイしあうような友達グループが可能になる。ただ、住まいがせまいと海外の友人をたくさん世話できないので、近くの安ホテルを利用できるようにしたらいいように思える。私がヨーロッパに自転車で旅したときには、1日500円くらいの宿泊料で、ユースホステルを利用した。とくに、ドイツのライン川沿いにある古城全部がユースホステルだったので、すごく感激したことがある。

 ユースホステルではそこの旅の情報がかなりえられ、また、そこで知り合った人と友達になり、長くパリで、ホームステイしたことがある。こうしたユースホステルとfacebookとskypeを合わせれば、個々で深く国際交流できる場が可能になる。

 いろいろな平和や協力運動があるが、各個人でできる世界の平和や協力活動としては大きな力になるように思える。もちろん、政治や団体の活動は一番の近道かもしれないが、自分たちができ、しかも楽しく、心の通い合いはこうした1人1人のつきあいから生まれるように思えるのである。

 私は今年で定年の60歳になるが、スカイプで、ニュージーランドのいとことテレビ電話したら、なんと、私が21歳に見えると言われて、びっくり仰天した。自分が21歳のころと、比べてみると、精神的にはほとんど変わりがない。一つだけ違ったと思うのは迷いがある21歳と、迷いがない60歳である。

 この21歳の迷いというのは、「いかに生きるべきか?」であり、60歳の迷いがないというのは、「いかに死ぬべきか?」との差である。迷いというのは、「先が見えるかどうか」が決定的な要素である。「先が見えないのが迷い」であり、「先が見えるのが迷いがない」ということだからだ。 自分の先がどんな姿の生き様は不明なので迷い、自分の先が必ず死の姿になることは明確なので迷いがないということである。

 私が60歳まで生きてきて、本当に救われた・幸せになったということが3つある。

1,禁煙 2.禁パチンコ が10数年前にできたこと。そして、3つ目は、禁宗教 である。

 禁煙は体の健康を維持することが幸せにつながり、禁パチンコは経済のゆとりと、生活時間のゆとりが確保できた喜びである。

 禁宗教は、もっとも困難なことだった。高校生のときに、「生きるってj何だ?」に悩み続け、ヨガに入信した。それから、他の宗教のキリスト教や仏教やヒンズー教にこり、新興宗教である、サイババやありがとうおじさんに凝った。それで、自分の魂が腑抜けになり、教祖だけの魂になってしまうようなまことに狂信状態になったが、教祖の失態からその洗脳か抜け出られたことはまことにラッキーだった。

 人生の答えは信じるものではなく、求め続けるものである。

というような信心生活から抜け出られて、安心できたように思う。安心を求めて入信するのだが、実際は逆で、宗教から脱却することが安心につながった。

 これら禁煙・禁パチンコ・禁宗教の根本にあるものは似ており、麻薬のような安心するための依存症である。依存症とはそれが無いと生きられないことであるが、それが無くても生きられるような生活が自立した安泰だといえる。

 次に、今まででもっとも楽しかったことは何か? 先の3つから脱却できたこと以外に、2つある。

1つは、24歳のときの、オランダのワーキングキャンプで、世界各国の人と一緒に働き、一緒に暮らしたことである。寝るところに、男女は自由に一緒になれたことだ。その3週間は今も鮮明に思い出すことができる。

2つは、やはり結婚生活と家族をもったときであろう。

 ともに働き、ともに生活することの幸せはそこから離れてみると、よくわかることである。

こういうことを振り返ってまとめてみると、

楽しさとは3つの要素があるということだろう。

1,自立すること 2,一緒に働くこと 3.一緒に暮らすこと

 そして、その輪が大きければ大きいほど幸せも大きくなる。

カテゴリー: 徒然草 パーマリンク

楽しさの3要素 への3件のフィードバック

  1. メルサイア のコメント:

    久しぶりにごんさんのブログに訪れました。
    素晴らしいテーマですね^^。

    依存からの抜け出しの喜びを経験するために、自ら3つもの依存症になるように仕向けたこと。
    強い方だなぁ~と思いました^^。

    一緒に働く、暮らす楽しさを味わうからこそ、孤立したり、仕事でうまくいかない時間を作ること。
    ふと、今の私の時期はそういう感じなのかなぁ~と思いました。
    波のある人生が好きなんですかね^_^

    いい教訓をありがとうございます*

  2. ゴン のコメント:

    メルサイアさん、おひさしぶりです。
    >依存からの抜け出しの喜びを経験するために
     これは違いますよ。
     タバコやパチンコそして、宗教も、みな最初は好奇心からです。それをやめようなんて、最初からそんな気持ちでする人はほとんどいないでしょう。

     その世界にはまりこんでしまうと、その奴隷状態になってしまい、そうして奴隷状態になってしまっていること自体にも気が付かなくなります。それに運良く気が付いても、麻薬からの脱却のように、自分の力だけでは不可能に近いのです。他の協力や運がないと、こうした依存症からの脱却はまずできないで、別な同じ例えばタバコなら、酒とか、パチンコなら競馬とか、宗教なら、別な宗教に依存してしまうのです。これは本質的な開放にはならずに単に言い訳のようなすり替えにすぎません。

     孤立や失敗の苦しみは、ともに暮らし、ともに働く楽しさへと向かおうとする反動力のように思えます。

     失敗のない人生がありえないように、>波のある人生 があって始めて、自分にあった、ちょうどいい楽しさの具合を求められるように思います。

  3. メルサイア のコメント:

    ゴンさん、お久しぶりです^^。

    >>依存からの抜け出しの喜びを経験するために
    > これは違いますよ。
    > タバコやパチンコそして、宗教も、みな最初は好奇心からです。それをやめようなんて、最>初からそんな気持ちでする人はほとんどいないでしょう。
    すみません。ちょっと唐突過ぎたかもしれません。
    もちろん、現実的な意味では、合意できます。

    でも、私が言ったのは、生前の記憶の自分(スピリチュアル的な意味)でです^^。
    依存は、確かに誰かや運などの協力(干渉?)無くしては、克服は難しいです。
    でも、他人や運なども自分の意思で動かせるももの、と捉えると、
    依存症になる人生を経験したのは、それを克服したときの幸せを感じようと生前に自分が思ったから、
    と考えてもいいんじゃないかな、と私は思ってます。
    生まれる前から依存症になっている人は、きっといないですからね^^。
    依存症になったきっかけも、きっと他人や運などの影響が強いと思いますし~・・・、

    私事ですが、ゲーム創作活動の一環で、こんな物語を描いてます^^。
    先を見る目を持った、10~20代のために、自分にできることをやっていきたいと思います^_^。
    http://koebu.com/topic/%E3%80%90%E5%8F%B0%E6%9C%AC%E3%80%91%E9%AD%94%E7%8E%8B%E3%81%AE%E5%86%92%E9%99%BA%EF%BC%94%EF%BC%88%EF%BD%83%EF%BC%89%EF%BD%9E%E7%9C%9F%E7%AB%A0%E3%83%BB%E5%BA%8F%E7%AB%A0%EF%BD%9E

コメントは停止中です。