生ゴミのカボチャの種から、カボチャが10個くらい実った。
雑草とともにできたメロンと同じウリ科なので、実が実ると草も枯れてしまうようだ。
カボチャの花が咲く9月ころは、青々と立派な草だったが、
そして、花が萎み、そこにカボチャが実ることになると、葉は白くなっていった。
ネットで調べると、窒素分が少なくなったためということらしいので、根元に鶏糞などの肥料を追肥したが、あまり関係なく、根本からどんどん白くなって、葉がやはり根本から枯れていった。
そして、カボチャが実った。
実は大きくないが、できたてのカボチャを食べた。
まだ採れたてなので、実の色が薄黄色で、皮も柔らかい。ミリンと醤油で煮込んで、甘みがまだ少なかったので、砂糖(うちはいつもオリゴ糖を使っている)を入れて、料理して食べた。
柔らかく、味も甘く過ぎないので、ちょうどよく、子供達もきそって食べた。
以前のメロンだが、結局12個できた。そのうち、3つくらいが、甘くておいしい皮がしわになった青いメロンができ、あとは、甘みが少ない赤みのメロンができた。どうして、同じメロンの種から二種のメロンができるのか不思議に思えた。
なお、玄米からできたコシヒカリは収穫したら、一束になった。
野菜も稲も実ると枯れるのがよくわかる。
サケも川をさかのぼり、卵を産むと、死んでいく。
親が子を命がけで、守り育てるのは自然の命の姿であるのがわかる。
命は生死を繰り返し、その実を永続させるのが、「愛の本質」のように思える。
生ゴミでできたカボチャなんですね
食べる時、わくわく感があり
自分で作ったお野菜は、また特別の味がするのではないでしょうか
私もベランダで作ったお野菜は、感動して食べていますもの
「愛の本質」
そうかもしれません
そうです。生ゴミから作りました。その肥料はやはり生ゴミ堆肥でした。このカボチャの種はその他の種と違っていました。生ゴミの種だけを土をいれた入れ物にまき、その上にまた、種を乾かす容器を載せていたのですが、その容器を押し上げるようにして力強くのびてきたものでした。
そして、この一個の種だけが、広さ5畳くらいにどんどんつるをのばし、葉を広げていきました。それが実ったのです。その他のたくさんの種は小さく花を咲かせましたが、実ることはありませんでした。
農協のスーパーで買ったカボチャよりもはるかにおいしいカボチャでした。カボチャの社会も人間の社会に似たものがありますね。より強いものだけが繁栄するようです。