種を蒔き、種を採種することをどうして人が手助けするのだろうか?
野菜に対して、人はそうするが、雑草に対しては何もしない。
もし、人は野菜を収穫しなければ、雑草と同じように、自分たちで、毎年芽を出し、花を咲かせ、実がなり、種をまくだろう。
最近、ニンジンや大根などの根菜類の種の採り方を知って、感動した。
ニンジンなどの根菜類の一生は7月に種が蒔かれ、秋、葉は天に、根は地にぐんぐんと伸びていき、冬には地上部の葉は枯れ、根はもっとも大きくなる。そして越冬する。3月の初春に新葉が生えて大きく育ち、6月の初夏に花を咲かせ、7月に実り種が再び蒔かれる。
我々が収穫するのは晩秋に大きくなった根っ子である。この根っ子を人が食べてしまえばニンジンの一生は花を咲かせ、実る前に終わってしまう。
私がもっとも感動したのは、根菜類は越冬するためだけに葉を出し葉を枯らすということだ。そして、寒い冬に生き残った根から再び新葉を出して生長し、花を咲かせようとすることだ。つまり、種を越冬させるのではなく、根を越冬させて、春に再び生き返るということを知った。
昔、加藤日出男という人が「美しい花を見て、その根っこを思う人は少ない」という言葉をかかげて、「若い根っ子の会」を創設した。毎年、グアムサイパンに洋上大学の船を出して、会員や大手企業の研修している。私も第3回だったか、1974年ごろ参加したことがある。今年もまだ健在の記事があったので一安心した。
根菜類の越冬の姿はまさに少年期の学習期間に相当する。花を咲かせる前にじっと我慢して、生きていくための基礎を身につけることで、厳しい世の中を渡っていけるようにする。
少年期の夢の多くは挫折することが多い。それはまさに、根菜類が自分の根っ子を作ってから、それまで育んだ葉を枯らすことと同じである。少年青年期にたくさんの失敗や苦悩をして、強く厳しい世の中にまけない自分の根っ子を作ることの大切さを教えてもらっているように思う。
自分の少年青年期を振り返ってみても、二十歳になる前に多くの挫折をして、それまでの信念や希望を捨ててしまった。そうしなければ、私は生きかえることはできなかったからである。
もし、加藤日出男の「美しい花を見て、その根っこを思う人は少ない」という言葉を、この根菜類の一生に当てはめてみると、
こうなるかもしれない。
人の多くは美味しい根っ子だけを食べるが、その花を美しく咲かせようとはけしてしない