米麦1粒=1ドル=1円=1ユーロから始めよう

  外国産の種ばかりあることが不思議で、その原因がわかってきて、いかに食べ物の自給率が種から必要であると思えた。

 自給率というのは、人の社会でいう自立した個人や組織の割合である。自立は自由が成り立つための必須条件である。

 畑をしようとしたのは、お金とは何だ? という姿を追い求めた結果だった。お金を追い求めている姿は真実から遠ざかった幻想に見える。その真実とは商品であり、その商品でも特に生きていくために必要な食料の姿である。

 今の社会はお金があれば生きていけると思いこんでいるが、それは間違いであることは明らかだ。お金はただの紙切れにかかれた数字であり、今では電子情報の数字でしかない。その数字は商品の数のことであり、特に、食料の数のことである。

 つまり、人はお金で生きているのではなく、食べ物で生きているのである。人は他の生物の同じく食べ物で生かされているのである。

 では人の社会でしか通用しないお金とは何だろうか? 

 アメリカの1投資銀行が倒産しただけで、世界全体が金融恐慌が起きてしまうという現実があることをどうとらえていいのだろうか?

 毎日、ドルと株相場の値で右往左往する世界はとてもまともな世界経済だとは思えない。これはゲームで、勝った負けた、いくら勝った負けたというマネーゲームであろう。それらとはまったく米粒の数とは無関係なのである。

 そもそも、お金の数字そのものが、世界の基軸通貨としてのアメリカドル相場を基準にしている。アメリカの赤字や国債が増えて、ドルが増刷されて、その価値が下がると、世界全体のお金の価値は下がることになる。というのは、お金の数字は1ドルの価値から世界の通貨価値は計算されるからである。それは商品の重さをバネ量りの針を基点の0にする位置を、アメリカの経済状況で調整するようなものである。

 経済の基本の基本は食料である。アメリカにある食料の数が1投資銀行の破産で、大きく減ることはありえないことである。いかに、今のお金が現実の世界から逸脱した幻想であることがこうした事件でもうかがえる。

 貨幣制度を新たに作る場合には、お金の数字1を何に定めるかということから始まる。金本位制だったころは、金1グラム=1両=1円=1ドルから明治政府は始めた。しかし、世界の金の生産量はほとんど一定で、世界の経済量とは無関係だったため、一番の経済大国であったアメリカが金本位制をやめて、自国の都合で自由に印刷できるようにしたため、世界もそれに習っている。つまり、世界のお金はすべてアメリカ経済に依存するようになっている現実が生まれた。

 世界の時間がロンドンがある経度を0時にすることで、世界の時刻が毎日変動しないで、世界中が共通のコミュニケーションをすることができる。ロンドンの経度は一定だからだ。それと同じようにお金の1という数字を世界共通の単位にすることが、世界の貨幣制度にはもっとも重要なことである。

 地域通貨を作るときに、その貨幣の1を人の労働の1時間に持ってくることが多い。しかし、例えば1時間の労働を1円にすると、その地域通貨経済は循環しないで行き詰まる。働ける人にお金が集まり、働かない人にはお金が入らない。そのため、働けない病人や子供や老人にはお金が入らないので、その地域通貨は動ける会員だけの自己満足で終わってしまう。

 そのため、世界に貨幣制度の始まりは、江戸時代の年貢がお米であったように、その基準を食料にすることが必要であろう。しかも、世界の主食である米や麦にすることが大事になる。

 そこで、世界で一番多い主食であると思われる麦種と稲種の1つぶ=1ドル=1円=1ユーロにすることから始めればいいように思える。

 こういう、お金と主食が切り離せないものにしておくことで、お金はギャンブル経済から実質経済に向かうことができる。

 穀物や野菜の種が海外で生産されるということは、自国の食料が海外の食料事情に依存することになり、自立国家、自由国家にはならなくなる。

 お金が金本位制であったころには、金の保有量がその国の豊かさの指針であったように、その国の豊かさとはその国の穀物と野菜の種の保有量になるかもしれない。

 「衣食足りて礼節を知る」というように、経済も平和も、自国の食を保証することから始めることが大切であろう。

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米麦1粒=1ドル=1円=1ユーロから始めよう への1件のコメント

  1. オカダ のコメント:

    お金は何時の時代にももん
    お金についての疑問は誰もが抱いていると思います。
    こんなウェブサイトに出会いました。
    「お金は魔法使い」
    http://wiki911.lv9.org/

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