自然農というと、どうも福岡さんが元祖だと思っていたが、岡田茂吉が最初の提唱者のようだ。そうした自然農の全体を語っている動画を見つけた。
そして、その行き先が森のような気がした。ここに4つの動画を続けてリンクしてあるが、最後の「きらめ樹」という間伐する方法には感心させられた。
本を読むと、みな言うことが違うし、実際にやってみないと、それらが正しいかどうかはわからないことが多い。この動画でも語られているが、
人は間違いを起こすが、自然には間違いがない
ということだ。
この原理は人を裁き、お金を作る法律にもいえることであり、人が作る法律には間違いが必ずあるということである。でも、自然法には間違いがない。
日本は法治国家であり、法の下に三権である司法立法行政がある。しかし、中国はたった8人の共産党員の下に法律も三権もある独裁政権であり、間違いがより多い政治社会である。
自然法とは水は山の上から下の海に流れ、水平を保とうとし、その水は太陽に暖められ、蒸発して水蒸気になり、雨となってまた山に降り注ぐというような「自然の営みの力」のことである。
どんな政治のもとであれ、人は自然法に従っていれば幸せに暮らすことができるということである。
食の自給率ばかり目を向けていたが、木材の自給率もあげる必要性があるように思える。最近、大雨で地滑りする災害も多いが、森を管理して持続させていくことが、木材の自給率に結びつくことを知って、いかに人と自然の森が共存することの大切さを思い知らされた。
4つめの動画は「森の蘇り」というNPO法人が運動している。
そして、1~3の動画で「舎爐夢ヒュッテの臼井さん」が、野菜の収穫は6割、4割はそのままにすることで持続可能な農業になると提唱しているように、森の間伐もその割合は変わるかもしれないが、4割ほど間伐した木材を人が使えば、森と共存できる人間社会ができるように思える。
自然法はこうした人が収穫伐採する割合を決めていくようなものであろう。
それにしても、間伐する樹の皮を簡単に剥がすだけで、その木は1年後には枯れてしまうとは驚きだ。