ゴミをゼロにするのは個人では難しく、95%が限界で、残りの5%は燃やすことが個人では難しいもので、汚れたプラスチック類や、金属やガラスやプラが組み合わさった粗大ゴミで破砕が難しいものである。
自然界にはゴミがないというのは、自然の枯れ草木や動物の死骸はみな命を育む資源になるということだからである。
昔、ゴミ焼却場から猛毒のダイオキシンなどが出ることが問題になり、そうした有害物質を出さない高熱な焼却炉が必要になった。そういう高熱の焼却炉を設置したところは、プラ類は燃やせるゴミに変更された。
しかし、もっと問題なのは、ゴミを燃やすこと自体が大量の石油を使い、かつ大量のCO2を排出することである。特に、生ゴミのほとんどは水分なので、それを燃やすためには大量の化石燃料が必要になる。もし、生ゴミをそのまま土に埋まると、発酵して、野菜を育てる堆肥になる。
自然の営みではほとんど火を使わないで命は循環している。人類の知恵は火を起こし、火を使える便利さで進歩してきた。その究極は原子力であろう。その破壊力は地球全体の生き物すべてを破壊することができるまでになった。しかも、燃え尽きた後に残る放射性物質は生き物を長年に渡って病気にし、死をもたらす有害なものになった。
多くの商品が火を使って作られる。自然のものは火を使って作られない。こういうところから、火を使って作られたものはゴミになりやすく、火を使わないで作られたものは資源になりやすいと言えるのでないだろうか。
つまり、火は人為的なもので、自然なものには使われない。人が起こす戦争や環境破壊は火を用いることが多く、自然とはかなり離れたものであるということだ。
火とは主に炭素と酸素が化合する際に出るエネルギーのことである。エネルギーは原子と原子が融合したり、分裂するときに生まれる。いわば、原子の結びつきの形が変わるときである。
生物では、その種が変化する場合は構成する遺伝子の配列が変わることと同じである。
問題は1つの化合物や種が他に比べて異常に増えた場合である。また、まったく新しい物質や生物が生まれ、それが増えることで、既存の生物が絶滅することである。
人類が絶滅するとしたら、世界の核戦争か、新種のウイルスの増殖である。それにさらに付け加えるならば、遺伝子操作されてできあがった次の種ができない食物である。その感染力は新種のウイルスと同じくらい強いからだ。
世界の経済も同じで、一種の金持ち族が支配する経済社会になり、経済格差がとてつもなく大きくなったときに崩壊する。
ゴミって何だろうか?
こう言えないだろうか?
今までにない、多種多様な生物が生存できないような物質や細菌ウイルス種のことである。経済でいえば、多様な人間が生きられないお金(法・システム)のことである。と!